今まで――誕生日プレゼントとして貰って一番嬉しくて、悲しかったものは“カセットテープレコーダー”だ。

アレは小学5年生の少し湿った暑い朝。私は唯一、エアコンがある父親の部屋で二度寝をしていた。


我が家には誕生日というものがない。理由は母親がのめり込んでいる宗教が誕生日を禁じていたから。
だから母の誕生日を祝ったことはもちろん、父も祖父母も、友人の誕生日も祝ったことはなかった。それでもやはり祖父母は何かプレゼントをあげたいということで、夏と冬に一度ずつプレゼントをくれたし、小さな頃は父が知らないふりをしてケーキを買ってきてくれたことが何度かあったことを記憶している。

あの頃にはもう気を病んでいたせいなのか、出来る限り何かを聴いていないと落ち着かなかった。

だからなのだろうか。誕生日の朝、二度寝から目を覚ますと新品のテープレコーダーが頭のすぐ横に置かれてた。A面とB面が自動で切り替わる電池式のテープレコーダー。
箱に入っていたわけでも、リボンが巻かれていたわけでもない。でも、これは自分への誕生日プレゼントなんだってわかった。

大袈裟に喜んだり感謝したら、今日が誕生日だから母親に怒られる。全てを誤魔化すように父に『貰っちゃうからね!!』っと言って、それから学校以外の出かけるときはそのテープレコーダーを持ち歩くようになったのだ。


記憶が確かなら大抵はクラッシックで、大抵はホルストの惑星を聴いていたと思う。そんなものしか我が家にはなかったのだ。だから何度もテープを修復して、高校の入学祝ということでMDプレイヤーを買ってもらうまで愛用していた私だけの灰色のテープレコーダー。

高校生になって、たしかにテープレコーダーは殆ど使わなくなっていた。それでも大切に学習机の上に置いていたんだ。

それなのに「これ、貸してよ」と言った近付いてきた父は酒臭かった。会社の人で聴きたいカセットテープがあるからテープレコーダーを探してるんだと。

私は断った。本当は誕生日プレゼントなんかじゃなかったとしても、とても嬉しかったから。

 

でも、父は持っていった。『絶対に返してね』、「ちゃんと返すよ」という約束も守ってくれなかった。


あのテープレコーダーが今どこにあるのかは知らない。流石に再生するカセットテープなんて持ち合わせていない。それでも誕生日が近付くと不意に思い出すことがある。エヴァのワンシーンのように、電車の中で揺られながらきいたあの灰色のレコーダーの音質のよくないクラッシックの音色を……。

余談だが宗教から距離を置き始めれたころからは時々誕生日プレゼントを貰ったことがあるし、友人の一人はお祝いと共に毎年必ずコスメをくれる。目玉なんて2つしかないのによくアイシャドウをくれる。


ただ、驚きもあったからだろう。何気にとても嬉しい記憶として残っているのは常連リスナーさんがアマギフをくれたことだ。
けれど祝われ慣れてないから今の私は誕生日を誤魔化して過ごしている。だって、どんな風に受け取ればいいかわからないから。私は自分でも人にものをねだる事や奢られることも苦手で、多分それは感謝の仕方がわからないから。

 

頼み事すら私はできない。遊びに誘うこともできない。きっと、この先はもっとそれが下手になるんだと思う。この数年は他者との距離がよりひらいてきている。だからせめて、祝える存在ではあり続けたいな。などとそんな戯言を考えて止まないのだ。