薄ぼんやりと何故自分はこんなにもレシートを捨てることが難しいのかと考えた……。

 

近年、適当な精神科に障害判定をしてもらいに行くと様々な病名をつけられるそうだ。ADHAから始まり、人格性パーソナリティ障害、PTSD、鬱病、元々は痴ほう症の人につけるような病名も診断名として書かれるらしい。

それにどんな意味があるのかといえば、中身がわからなくても量が多いと重病に見えるからなのではないかと私は思う。

 

そんな診断を書かれている人と私の診断書を比べたら、きっと優しくされるのは沢山書かれている人で、話し合いをする前から門前払いされる。こんな決めつけが既に私の中に巣くう病魔だと、誰が理解してくれるだろうか。

 

八月になった。

 

何もしないまま、八月になった。後輩が出ていって一年以上が経った。後輩と暮らした月の数より多い月日が経ったわけで、後輩は色々なことが変化して、自分では実感がないとか言ってるけれど私と暮らしていたときよりも良い暮らしをしている。

 

何もしないまま、八月になった。この家に住み始めて三年が経った。引っ越しを手伝ってくれた友人は今、海外にいる。同い年だというのに、大きな一歩で沢山の経験をして、帰ってくる頃には話が合わなくなっているかもしれない。

 

変化していないというのなら、それはある意味では成長していないといえるけれど、退化もしていないと私は思う。だって、変わらないということもやろうと思うと難しいから。

 

母が倒れて三年目くらいの頃からだろうか。

「いつまで同じことで苦しんでるの」「いつまで同じことで悩んでいるの」「いつまで同じことで」

そんなことを言われ始めたのは。

 

“逃げれば解決する”

 

そんな風潮があるように感じるけれど、それって逃げた先はどこなのだろうか。逃げた先まで追いかけられない世界ですか??

私は逃げたというよりも、限界がきて壊れただけなんだ。だから、ちゃんと逃げれてはいない。逃げる覚悟が今もできていないのが正直なところで、自業自得といわれたらそれまでだけど、でも、あなたなら独りでどこまで逃げられますか??

 

北九州監禁殺人事件や尼崎連続変死事件に巻き込まれた人はどうして逃げるチャンスがあったのに逃げなかった?? 助けを求めなかった??

カルト宗教に巻き込まれた人はおかしいと疑問を感じても抜け出せないのは何故だ?? 事件被害者やその遺族が自身が死ぬまで苦しむ心情を考えたことがありますか??

 

逃げるってとても難しいことなんですよ。

現代は失踪することも難しいのです。

それに、言葉で殴られ続けてきた生き物は、たった一言で壊せる。

 

私と血縁との記憶は悪いものばかりではない。だから余計に苦しい。でも、誰にも理解されないように殺しにくる。何十年も刻まれ続けた傷。他人からは何でもない。警察に訴える方法も、裁判に持ち込む方法もないだろう。そのくらい緻密な虐待。

 

今回だってきっと誰もわかってくれない。たった一行の、しかも全文見えてないメッセージで声を失うくらいに苦しんでることを。

三十年近い虐待の傷が一切癒えてないことを。

第一、癒す暇なんてなかった。今日を生きるのに必死で、明日生きているかもわからなくて、いつ殺されてもおかしくない状態で、次々とみんなに見捨てられて、行政にも見捨てられて、駄目だ。これ以上書けない。

 

私を守れるのは私だけで、手を貸してくれる人も話を聞いてくれる人さえいない。だから自分で頑張らなきゃいけないのに、立ち上がれない。もう、お願いだから、死なせて。