最近、胃痛に悩まされているクレトです。

実家を出てからも色々と問題はあったものの、命にかかわるまでではなかったのでストレス耐性が落ちたらしく簡単なことで身体が悲鳴をあげるようになってしまいました。

 

それでも、希死念慮や自傷行為がなくなったので以前よりはまともな生き方が出来ているのだろうとは思いこもうと思っています。

カウンセラーに『最近、自殺未遂を繰り返していたときの方が生き生きしてたなって思うんですよ』と言ったら「自殺未遂は自殺未遂だけど、かなり人体実験だったからね」と言われてしまいました。あの頃は本当に死ぬつもりでしたが、出来る限り楽な死に方やワンチャン死ねばいいかくらいの行為も多かったのは確かですし、死ねないという諦めで前に進むという生き方でその日を乗り越えていたとは自覚してる。

 

今の家に引っ越してきてからは実家とは違い、足がつかない位置でひもが設置できるし、独りだから発見されるまでに時間がかかる。だから悩むこともなく死ぬことができるから実験する必要も何もない。その象徴だけをぶら下げて、何年が経っただろう……。

 

まあ、なにが言いたいのかといえば、実家にいたときというのは死ぬか殺すか、殺されるかというそんな悩みと苦しみがすべてだった。では今の私はなにに悩んで苦しんでいるのか。

 

一番に浮かぶのはやはり親族に見つかる恐怖。

 

たとえ、優しくされることが確約されていても私の精神はもう親族を受け入れられない。姿を見ることも声も聴くことも、それだけでパニックが起きる。

説明することが難しいが、無理なものは無理というしかない。

 

だけど人間は独りでは生きられないとはよく言ったもので、それは単純な精神的な話だけではなく物理的な話の方が大きいと思う。

 

『他に選択肢がなかった』

 

この言葉以外に言える事がない。私だって、あの夏、出来る限りのことをしたつもりだ。必死に炎天下の中を走り回って、手が届いたのが今。

新たな目に見える恐怖。幾度となく人間関係には失敗してきた。家族関係すら失敗した生き物だ。そうなるのは避けられない事なのかもしれない。そんなことも思ったけれど問題を掘り下げると原因は大抵同じ。皆が口をそろえて言う。

「優しすぎるから」

私は当たり前のことを当たり前にしているつもりなのに、それが違うらしい。受け入れすぎると。その上、大抵のことはできると。一定の人間は酷く依存するらしい……。しらんがな。

あの親族の傍若無人の中で生きてみろ。大抵のことは気にならなくなる。先回りして準備するのは生きる為の必須スキルだっただけで、相手のことを考えてやっているわけじゃない。

 

しかし、現にトラブルしか起きないから、それを直す努力をしているわけで。簡単に直ったら苦労はないよねってお話。くわえて、他者がいないとどうにもならない問題なのだから、さらに時間はかかる。

なので困っていることを記入する場合は《人間関係》と書くしかないのだ。

 

1500字に近付いてやっと本題的な話をしよう。

 

このところ色々な更新手続きや担当者変更があって、困っていることについて尋ねらえる。

親族問題について話してもあまり同意は得られない。民事不介入というやつに近い話になるのだろうなとはわかっている。だからといって無視できる話ではない。そうなると『人間関係』と言うしかないわけになる。

 

そうすると口をそろえて言われる言葉が「作業所に通う」という言葉。私はどう折り曲げても障害者だ。だから、外との繋がりとなると一番手っ取り早いのが作業所に通うということなわけらしい。

健康的な人間の生活というのを世間は求めてくるわけで、昼夜逆転の引きこもりというのは許されないのが普通というものなのだ。

言いたいことはわかる。わかるが……暗闇の中で眠るのが怖いし、日中は集中できないのだから仕方がないだろ。今日だって、しんどくて日が暮れてから仮眠をとっていたらGが大量発生する家に関する悪夢を見て、目覚めた瞬間に風呂に入り直そうか考えた。今でもGを踏みつぶした感覚が左足に残っている。

 

とにかく、夜は恐い。安心できない。夜に警戒を怠るなんてことは私にはできない。

 

家が悪いのかといえば、そうとも言えるし、そうでないとも言える。これでも部屋の位置はストレスが少ないものを選んだのだ。なので日中は眠れる。だけど家を長時間開けた日の家は恐い。どんなに防犯をしっかりして出かけても、その間に何かが入り込んでいるのではないか。そんな妄想に憑りつかれて仕方がないのだ。

 

家から出れない問題の深刻化はゴミ出しの回数に影響があるレベルになっている。玄関を開けるのさえ恐れている自分がいる。もう何が恐いのかもわからない。でも恐い。

 

今日も役所に行ったら困っていることについて尋ねられ作業所を勧められた。だけど、家から出るのが恐いと返答して帰ってきた。

 

いつからこんな自分になったのか。引きこもりが酷くなったのかを真っ青に染まった浴槽で考えてみたのだ。

 

第一として、引っ越した時点から防犯は考えていた。でも夜に出歩くことがあったほど最初は恐怖はあまりなかったと記憶している。

切っ掛けの一つとしては、一度目の苦情。下の住民からの苦情でより静かに暮らすようになった。ロフトを使う回数を減らした。それにロフトで眠ると酷い悪夢をみたから。

次に同時期に言われた保護者役を気取る男のいくつかのメッセージ。《人肌が恋しくなるよね》、《そんなに生活が苦しいならうちに住めばいいのに》、《チェーンをかけていようがそんなの簡単に開けられるんだよ》。拉致や軟禁、眠っている間に暴行されることを経験してる私には冗談とはとれなかった。カップの水が簡単にあふれた。

 

けれど、その冬はまだ平気だったと記憶してる。夜までフラフラと出歩いて0時を回ってから帰宅してもそんなに恐怖はなかった。

春が来て、世間的に外出が規制されて、外出回数が激減したけど、インドアの私にはあまり影響はないといつも通りネットの中で暮らしつつ、少し、友人達に会えなくなった寂しさはあったかもしれない。

 

夏。最悪の夏。

 

言葉が喋れなくなる程に心を壊された。仕事もまともにできなくなって、食事もまともにできなくなって、どうやって自分が生きているのかよくわからなくなった。来年も同じ苦しみがあるのかと考えたらどんどん頭がおかしくなって、来年はどうやって切り抜けようかそればかりが頭にこびりついている間に秋になった。

 

部屋の模様替えを頼んだ後輩が家を失くしているという話を知って、後輩を助けることにしたのは打算と自分が体験した恐怖から。

家を失うことは恐い。生活の基盤がなくなる恐怖。ネカフェで来週はどうなるのだろうかと減りゆくお金を見ながら発狂しそうになったあの夏を忘れられるはずがあるわけなく、助けた。けれど、後輩に迷惑はかけたくなかったから夏には出ていくようにと命令した。壊れた姿を見られたくなかったのだ。

 

経験としては良い経験だったと言える。後輩も優秀で夏が来ると同時に出ていった。でも、私の体はその間に壊れていた。心が治ることもなく、全てがボロボロになって、でもきっと今からまた気兼ねのない暮らしができると思っていたのに……。

 

夏を乗り越えて、秋が来て、あの赤と白の紐。なにかのまじないのようだと思った紐を見て、店に入った瞬間、吐いた。その前の週まではなんの問題もなかったのに、口の中に嘔吐物があふれた。

パニックになって、食事が再びまともに食べれなくなってしまって。

 

後輩がいる間は、正直に色々楽をさせてもらっていた部分も多かった。

玄関にゴミをまとめておけば出勤時に捨ててくれる。洗い物は夕食のもの以外でも丁寧に洗ってくれたし、メッセージを入れれば大抵のものは買って来てくれて、仕事に集中してたら飲み物だとかゼリー飲料を渡してくれて、便利という言葉以外が浮かばない。

 

それでも今こうして振り返ってみると、後輩と同居していた冬に習い事に出て帰ってくると毎回何かと苛立っていた。とても苛立っていた。ほぼほぼあの感情は不安であり、恐怖だったと言えると思う。

 

とにかく、そう。私は外出することが恐くなってしまった。ゴミを捨てに行くために出ることも、コンビニに行くこともできない程に。

 

だから、作業所だとかそういう話の前に、今の一番の問題点は【家】なのだ。

事の始まりは、家。【帰宅する】という恐怖と【帰宅できなくなったら】という矛盾した恐怖。それなんだと思う。