書きたいことがあるわけじゃない。ただ、ただただ何かを書きたい。そう思って、キーボードを叩いている。だからきっとこれを書き終わる頃にはとても無意味なものが出来上がっているだろう。

 

気が付けば四月も中旬だ。春が半分終わったようなもので、さくらもすっかり散ってしまった。私はこの家に引っ越して、初めての春に窓の下に見える桜の木を見て『あと何度この桜を見るだろう』などと呟いたものだ。

短い私の人生の中で、きっとこの人以上に愛せる人が現れることはないだろうと思った人間への愛が消え去ったのは“家”に関する問題が一番大きいと思う。

 

人間は衣食住が大切だと、逆に衣食住さえ何とかなれば生きれると言われるほど家は大切なわけで、眠ったわけではないけれど、ネカフェ生活期間の中で一晩だけ橋の下で夜を過ごしたことがある。

 

家に帰ろうとして足が動かなくなったこと自体が人生で一番恐ろしい経験だろう。あの夏の空の色もざわめきも、沢山の人が通り過ぎていく西改札の景色も忘れることはできない。どんなに脳で命令しても足が、身体が、一歩も前に進まなかった休日の月曜日。

でも、今までは何とかできたのだからと策をめぐらしたのに自宅の明かりを見た瞬間に足の力が抜けて階段から転がり落ちて、橋の下で過ごした火曜日。病院の指示を待った水曜日。楽観的な気持ちでいた木曜日。全てが始まった金曜日。

 

大抵の問題が起きたときはその原因をちゃんと見つけ出して対策を取ってきた。けれど、この事だけはまだ明確な答えが見つかってない。

 

カウンセラーには「限界がきちゃったんだよ」って、糸が切れたとか、カップがいっぱいになったとか、いつか来る限界が静かにきてしまったんだって言われたけれどよくわからない。限界なんてもう何度も来て、カップがいっぱいなら中身を外にぶちまけて、前に進んで、糸が切れたなら無理矢理結び直して、何度も何度も自分を壊して、自殺未遂を繰り返して、死ねない事を糧に前に進んだのに。

 

限界が来たというなら、自殺行為をする勇気がなくなったことだ。自傷行為をただただ痛いってしか思えなくなったことだ。死から離れたから私は弱くなった。死ねないという諦めが消えてしまった。それが問題なのだ。

 

あの夏の日だって、死に場所がなかった。橋の下で震えながら、死のうとは考えていなかった。あの時に橋から飛び降りることでも出来てたなら諦めて私はまだ実家で苦しんでいたのかもしれない。

もちろんソレは間違いだってわかってる。もっと悪い未来がそこにあったのは考えなくてもわかる。あの夏が最善だったと、恩師に感謝するしかない。

 

恩師があの時にどこまでの未来を予見していたのかは私などではわからないわけで、後輩が我が家に来ること辺りまでは織り込み済みだったのだとは思う。でも、後輩が無事に旅立って、こうして一人に戻って、虚無的な日々を過ごして、私はこの先どうすればよいのだろうか。

世界の移ろいはすさまじい。それを観測し続けることが使命なのか、いや、恩師との約束というのならば作品を完成させることが最優先なのだろう。

「俗っぽくなるのは悪い癖ですね。時計さんの文はもっと硬くて、皮肉的で……」

ラノベを否定されたときの言葉。それこそ坂口安吾のような文でも書けというのか。いや。今、言いたいのはそんな話ではなかった。

 

あの時どうにかできる手段で手に入れた現在の住処。でも、死ぬまで居れるわけじゃない。現実的な話、独りで生きていくには色々な限界がある。だから、私は災害でもない限りは半永久的に住める場所を手に入れたのに「自由がなくなった」と言い放ったアイツのへの愛が消え去ったのだ。

 

4月という数字で私はまた少し考えてしまう。ネット上の人間と一定以上の距離に近付けなくなったのは生霊になってまで私に執着したあの男を見捨てた頃からだ。

年齢や外見が変わったり、人間関係に疲れたってのもある。でも、未だに呪われているのだとしたら、そんなくだらない現実逃避をしてしまう。

 

そういえば、母親が倒れたのも7年前になってしまったのだな。様々なことがあった7年前。

 

ネット上の住処がなくなることをきっかけに、人生で初めてちゃんと告白をしてフラれて、人生で初めて友達に本気で泣きついて、そんなことしてたら、母親が三途の川を渡りかけて、おかげでずっとDVを受けていたことを周りが認めてくれて、自分の人生が始まって、宗教から距離を置くこともできて、私だって色んな仕事が出来るんじゃないかって、世界が希望で満ち溢れてた。ここから頑張ればきっと色んな事が良い方向に向かって行くって、がむしゃらに、走って、走って、気が付いたら自殺してた――。

 

私の手を握ってくれているのは、半年後かそれとも3年後か、わからないけれど確実に手を離すのがわかっているカレだけで、誰もいなくて、だから、もっと必死に頑張って、全部完璧に、生きる為に未来を掴まなきゃって走ったのに、置いていかれて、独身なの諦めてる子か自分だけになってて、親からの無理難題は増えていって、初めは両親だけからのDVが親族全体になって、酷い鬱病になって、でも助けてくれる人いなくて、だから頑張らなきゃって、自殺して、諦めて、前に進んで、運が悪いことが続いて、仕事したくても身元保証人になってくれる人すらいなくて、面接受かってもその先が駄目だったりして、信号機の色もわからなくなって、市の支援センターからも見捨てられて、そんな状態で婚活なんて上手くいくわけなくて、アレもコレも駄目で、日雇いで仕事したりして、逃げ場がなくなって、もう母親を殺すしかないんじゃないのって毎日恐怖に怯えて、それでも頑張ったよ。

 

でもね、結果は逃げ出して、全てに怯える今日。

 

何を犠牲にしたら。逆に何を犠牲にしなかったら、私は違う未来を手にできてたんだろう。

後輩が言った「彼女ができたら」って言葉がね深く刺さって抜けないの。別に後輩とどうにかなりたいわけじゃない。また置いていかれるのがこわいの。サヨナラがこわい。

それに、私は定期更新のない家に住んでいるけれど、後輩は定期更新のある家で夏が来たら1年目が経つ。3年後には違う家に引っ越しているかもしれない。そしたら、私と同じ年齢になってて、あの子の未来はどうなってるんだろうなんて薄ぼんやり考えたら、私はよりどうしようもない状況になっている未来しか見えないわけでさ。

 

これが現実だから仕方ないのだろうけれど、一定の年齢を過ぎても婚活アプリとか利用してるととてつもなく安値をつけられるようになる。なんの言葉もなくても、自分の年齢見てから話しかけろみたいな人とか、こんな人にもワンチャンと思われてんのかな??みたいな、自分の値段がどんどん下がっていくのがわかるし、良いなって感じた人は簡単に5歳下とか、あぁ、私にイイネを押してる人達とやってること変わらねぇんじゃねぇの??って凄まじい嫌悪感に陥る。

ネットが普及したから出会いやすくなったなんていうのは幻想だと私は思う。今のネットは相手の顔が見えない。写真や動画もアップできて、声も知ってたりするけど、相手のことが昔よりわからない。

 

私は独りで過ごす時間も好きよ。独りで色んなことを楽しめる。でも、昔から二人の方が好き。どうしても邪魔されたくない時間もあるけれど、好きな人とならあまり気にしない。第一に普通の人は365日24時間監視したりしないから、その時点で結構平気。

後輩が駄目だったのは慈悲はあっても、愛はそこになかったから。親切以上の愛があればきっと平気だったけれど、初めからなかったし、持たないようにしてた。なので苦しんだ。

 

家に帰れなくなったあの日から、私には大きくできなくなったことがある。それは家を長時間開けられない。外に泊まることが出来ない。家から大きく離れられない。帰りが深夜になったりする日は家まで送り届けて貰う。

 

そうでなくても私は玄関をあけることすらこわくなってしまった。一歩でも外に出たら中に入れなくなるんじゃないか。また家を失うんじゃないかって恐怖と戦ってる。

 

きっと誰にも分らないだろうけど日々、そんなことと戦いながら私は明日に怯えてる。どうしたら、解放されるんだろうね。やっぱり死ぬしかないのかな??