私が好きな作品にグレゴリーホラーショーというものがある。原作はアニメでゲームが出ていたり、今ではソシャゲになっている。ある程度、人気があるらしくコミックスにもなっている。

正直、そのそのコミックスはグレゴリーホラーショーとしては、認めたくないが面白い作品ではあった。

 

だから、自分を構成している本を並べている本棚にいれているのだが……その理由の一つはこんなエピソードがあるからだ。

 

“何か”になりたい主人公、引っ越したグレゴリーハウスの住民は異常といえるような人しかおらず、その人達を否定したときに主人公は彼らを「うらやんでる」と言われてしまいます。何かを追求している住民達に嫉妬していたということで、この話は激しく心に刺さりました。

 

ずっと何かになりたいと思いながら何にもなれなかったから。

 

「うらやましい」や「嫉妬」というものは悪いイメージが強い。でも、私はその「うらやましい」や「嫉妬」という気持ちを一つのバロメーターにしている。そんな感情を感じるとソレを「したい」だとか「ほしい」、「負けたくない」、「そうなりたい」と感じているのだと、なので、それに挑んだり、試したりしてみていたりします。

 

けれど嫉妬は継続しない。私にも夢があった。

『自費出版じゃなくて本を書店に並べ、あとがきに恩師のことを書きたい』

そんな現実的なのかそうでないのかわからない夢。

 

でも小説というジャンルで私はあまり嫉妬を覚えることはなかった。だって、もう、出版されているだけでそれは尊敬でしかない。憧れ。そして、面白いか面白くないか。どんな世界だって、私には書き上げることが出来ないそんなもの。

 

ただ時折、書店で本の表紙をなでる度、並んでいる本を見る度に『うらやましい』という気持ちはあふれた。

 

実は私は2ヶ月程前に激しい嫉妬に襲われていたのだ。それは一種の尊敬でもあったけれど、1日1回、毎日絵を投稿し続ける。それも技術を極めれば書けるようなものじゃない。誰にも真似できないような世界観で、楽しそうに絵を描く人。

 

そのすべてに嫉妬した。

 

自分も自分だけの世界が欲しくて、何枚も絵を描いた。模索した。本も買って勉強した。でも、納得なんてできるものは出来上がらない。

 

そんな中で、新たな嫉妬が芽生えた。

 

そのときに聴いていた配信者の中で一番良いと感じていた配信者さんが、色々なことを模索して、それを形にして、模索しながらも回を重ねるごとに上達していっていて『うらやましい』と言いたい喉を握りつぶした。

 

やりたいことを形にしていく姿、成功するための努力。なによりその楽しそうな声に嫉妬が止まらなくなっていた。いたのに……その人は姿を消した。でもそれは新たなステージ進むための準備なのだということは感じ取っていたから……

 

やっぱり、嫉妬した。

 

あまり関わってはいない人だったけれど《やってみると毎日配信もできるものなんだ》という呟きが目に入ったとき、私は嫉妬した。

色んなものを作って、自分のやりたいことをやりまくっている昔いた界隈の人が、殆どみんないなくなったのに変わらずに続けている姿に嫉妬した。

何も更新していないのに、久々に配信をしたらすぐにいつも来ていた人が集まってきていた枠主に嫉妬した。

 

次々と何かを達成していく、何かに挑戦していく、変わりゆく周囲に嫉妬して、嫉妬して、逃げ場を求めた。

 

無為に配信を繰り返したり、新たな住処を求めるように枠をさ迷ったり。

 

そしてその先で出会った新たな人達は今までとは違った素敵さを持った人達で、一瞬だけ気が紛れたけれど、みんな何かに挑戦している人で自分はこんなことをしている。と、応援してほしい。と、叫んでいるような人達。

 

言葉を失ったよ。嫉妬した。そのツラが気に入らないと殴りかかりたいくらいに。

 

私だって「こんなことをしていて、応援して欲しい」と言いたい。下手くそでも、がむしゃらでも「見てくれ!!」と、自分の作った物を鼻先に突き付けてやりたいと思った。真似できるものならしてみろと、足掻いてきた後ろを振り向いてみた。

 

そこにあったのは、すべて真っ白な紙。何かを描いた跡はついていても、そんなの触ってみないとわからない。

 

恥ずかしくなったよ。

 

これじゃ、オオカミ少年だって。

 

自分ではわかるんだ。自分の努力。だって、私が消したのだから、その紙をさわれるのだから。でも、ほかの人にはわかるわけがない!! だってそれはただの白紙で、私はその上に立って、昔語りをする老害だ!!

 

それと同時に新しい住処を探し歩いていると、自分がどれほどのチャンスを逃しているのかにも気が付いた。

 

あまりにも上手いものを見せたいという気持ちに、何か決まった日付けにしたい、初めはかっこよく決めたい。そんな言い訳のようなことをして、私の手元には何もなくなっていたから、折角興味を示してくれた人にも何も見せれなかった。

 

その姿は、自分の下手な作品を見せるよりも無様だと感じた。でも同時に気が付きもしたのだ。

 

“なにか”になりたいと願っていた私、創作者、表現者、そういったあいまいな存在であることを願っていた私はいつだって『小説』という言葉を口走っていたことに。新たに出会った人達に「小説の」といわれていることに。

 

どことなく諦めがついた。

 

私は一生かっこよくなんてなれない。4年間痩せ続けていた体重が1年でリバウンドして、また嫌いな姿になったように。

 

七夕が近づいて、去年願ったことを思い起こし、今年は一体なにを願うのかと考えたとき。

 

今は無様でいいから、どうせ、文章なんて書き続けていればまた上手くなる。誤字や脱字はなくならない。だったら、今、動こう。

 

それでも、少しだけかっこを付けたかった。だから、自分の一番お気に入りを小説じゃないけど描き直した。

不思議の国のオカシナ詩

クレトという存在の始まりは詩なのだ。詩を描いたことから私は時計 紅兎という存在になった。恩師と出会えた。話を書いてみてほしいと言ってもらえた。

 

だから、これを一番最初に載せた。

 

そしてこの作品を選び取ったことに意味はない。自分でも何故コレだったのかわからない。でも、書き直し、載せた。

近未来の話

 

思い入れがあるわけでもない。コレを読んでほしいと思っているわけでもない。

ただ、あるとするならば……この作品は恩師がいなくなってからすべて書いた。だから恩師はこの話を知らない。

 

書き直してて思ったのはたったの10年程前の作品なのに……内容を変えなければいけない部分が、当時はなかった言葉を取り入れた方がリアリティが出る程に世界は進んでいた。

この作品が最初に掲載されていたときの証拠はもうどこにもないから、だからこそ手遅れにならないうちに載せなければいけなかったのかもしれない。

 

こんな言い方をするのは卑怯だが、恩師が選んだのだと私は思っている。

何でもない日、何でもない時間。でも、先生には何かあったのかもしれない。私が忘れているだけで先生は何かを覚えていたのかもしれない。というよりも、先生は単純に私の作品が読みたかったのだと思う。

 

今年の七夕にこんな願いをしようと私は思っている。

《先生に恩返しできますように》

 

私はとてつもなく嫉妬しているのだ。先生に。

先生は多くの本を出したわけじゃないけれど、何気にウィキに載ってたり、めんどくさがりのようで好奇心が旺盛で、色々なことに手を出している。病んでることが多かったけれど、怒ることなどなくいつだって朗らかな笑顔で、でも意見を曲げないところは曲げない人で、どことなく浮世離れしてて、博識で、先見の明がありそれは未来を本当に知っているようで、なにより……あんな死に方をした。もう、この世界にいない。

 

それが私は妬ましいほど羨ましい。だから追いかけたいのだ。あの背中を。そして窒息するほどの原稿用紙を突き付けてやりたい。読み終わるまで、100年かかっても今度は逝かせない。

 

これは先生を追いかけるための、一歩目。

 

それでも、すぐに忘れてしまう。現代はあまりにも物があふれすぎていて、あわただしくて、大切な夢さえ忘れてしまう程に。

 

だから、私はあの配信者が帰ってきてくれるかもしれないということが嬉しくてたまらないのだ。

曖昧だった私に形を与えてくれた、私の夢を思い出させてくれた、私を嫉妬させるあの人が。

 

あの日、嘘ではないものの本物でもないもので逃げ出そうとした私の差し出したものを振り払って、最高のものをよこせといってきたあの人。

 

先生を追いかけるための一歩。でも、同時にこれはマスキ&.という男を原稿用紙で殴りに行くための一歩目でもあるのだ!!