我が家は狂っている。愛がなかったわけではないけれど、殴ることが愛だと思っているような家庭だった。愛と言われても殴られることは痛く、恐く、私は逃げ出しました。
この話をとある人にしたときにこんな問いをされたことがある。
「家族のこと、好きじゃないの?」
なんて無神経な人なんだろうと思いました。きっととても幸せな家庭で育ったのだろうとも感じました。ありふれた家庭。一瞬だけ殺意も覚えました。
結論から言えば、私は家族のことが好きです……。
ひどいことは沢山されました。痛い思いも、苦しい思いも沢山させられました。それでも嫌いになることなんてできなくて、自分がもっと上手くできれば、強ければこんなことにはならなかったのではないかと後悔をする日々です。
我が家で一番どうにもならなかったことはコミュニケーションがとれないということでした。話し合うことが、分かり合うことができない。両親は自分以外の存在を理解することを放棄していました。
父も母も自分のことが一番大切で、自覚も役割も放棄して、逃げることと、責任をすべて私に押し付けて家庭を保っていました。今は全員が逃げている状態なのだと思います。
結果として私は今、『家族から逃げた』という以外どのような言い訳もできません。
でも初めはこんなことになるつもりなどなかったのです。だから、あの日、自分の身に起きたことを考えると今でも涙が出る程に悲しくて、こわくなる。
それに今みたいに親類から何かしらのコンタクトがあると、その度にパニックになります。
頭でどんなに家族を、親類を愛していても、体と心が拒絶するのです。どうしようもないほどに。
正直、両親も不器用で勇気がないだけでまったく自分のことを愛してくれていないなんてことはないのではないかと今だって心の中で思っていたりします。
それでも彼ら、というよりも母親が選んだ選択肢は繋がりを断ち切ることでした……
たしかに居場所も告げず、突如ある日消えてしまった娘です。
そんな娘に対して母親が一番初めにしたことは、情報を遮断するようにラインのグループを作り直すということでした。
母は色々な意味で私を恨んでいるのだと感じています。
特に、一番母が私に対して恨んでいるのは五年前、死にかけたときに治療の要請をして死なせなかったことに対してです。
それだって、私は母の意思を仕込まれていたから、治療をせずにそのまま死ねるように物事を動かしていました。それでも周囲と、なによりも父親が治療の要請をしたのです。
私は何度も父に母の意思を伝えました、それでも父が生かすようにと命じ、人道的にも助ける以外の道がなかった。
けれど母親はそれを恨んでいるのです。すべてが私がおこなったかのように。
たしかにその後も、母親の命に背き、治療を続け、父が望むような家具の配置や物の処理、金銭管理と家の在り方を変えました。誰がきいても狂っていた家庭をできる限り正常に戻しただけなのです。現実を受け入れてもらおうとしただけなのです。
でも、この「だけ」は十二分に母にとっては自分が築いてきた城を壊される以外の何ものでもない。そして何十年もかけて調教した従僕が牙を向いた以外の何でもない。
私だって理解してます。それくらい。けれど、気が付いてしまった。もう見て見ぬふりができない程に、わかってしまった。
母の痛みがわからないわけでもないです。だから、できるだけ痛みが少ないように改革をしたつもりでしたが、少しでも痛い思いをしたらそれはもうどんな力で殴っても変わりがない。殴られたという事実でしかない。
私という存在が産まれたこと自体を既に恨まれていたのですから、不快な存在以外の何ものでもないことも理解できます。でも、それでも少しくらいは、家族なんだからって希望を持っていました。
なんの連絡もないことも一種の愛情表現なんじゃないかって、私の負担にならないように連絡をしてこない、探さないだけなんじゃないかって……でも、本当に要らない存在だったようです。
自分のいうことを何もきかない存在は母にとって不要以外の何でもない。それについて、話し合うことさえできない。
こういうときの対処は「諦める」ということだと、どの本を読んでも、専門家に訊いても答えは同じでした。それでも、どんなに口で諦めたと言い、心に言い聞かせても、悲しくて、悲しくて、死んでしまいたいと考える程に辛いです。
私はきっとこの愛することが出来ない家族についていつまでたっても悲しむと思います。だって、これだけの仕打ちをされても嫌いにはなれないのですから……。決して取り換えることのできない、家族、なのですから。
生まれ変わるなんて摂理があるのなら、今度は当たり前に愛される人生がいいです。普通に愛されたいです。普通の人間に産まれたいです。