現在の私という生き物は文章にたずさわっている。情報をつむぎ、言葉をつむぎ、物語をつむぐ。そんな生活。

 

自分の得意というものはこれでもわかっているつもりなのだ。でも、それは私が求めているものではないので私はずっと足掻いている。理想を求めて、理想を探して。結局は迷子になっている。

 

小説を書き記すことは私にとって趣味であり、感情の表現であり、生き方。と、言いたいところだけれど、実のところ私の本質は小説家ではない。詩人になるのだ。

 

今の人生というものは詩をつむいだことで手に入れた。けれど、今はもういくら詩をつむいだところで意味は薄い。それこそ本当に道楽。

「詠え」といえば今でも詠えるだろうし、嫌いじゃない。でも、現代ではどんな詩(うた)をつむごうとそれはただの痛々しいポエムにしかならない。これは私の力が足りないのだとは私は考えていない。

 

現代という病が、理解する脳を奪ってしまったのだと思っている。

 

それこそ小説でも漫画でも、現代はすべてが薄っぺらい。軽い。重さがない。紙がデータになってしまったように。

 

昔というのは情報があまりにも少ない世界だった。個人が情報を得ることがかなり困難な程に。けれど、今は誰だって情報を手に入れられるどころか発信もできるようになった。

デマに流されないようにというのは、戦争後のスローガンだ。

しかし、結局は我々が手にできる正確で正しい情報など一握りでしかない。それこそ自分の目で見た情報でさえデマではないとは言えない。

 

それを認識できている人間というのはそれこそ釈迦の片手に乗るかどうかという量だ。

 

結局のところ、人間には多くの真実は必要ない。管理ができないのだから。

無法となった真実など一種のウイルスだと言える。

 

こんな戯言を理解してくれるのは恩師くらいだろう……

 

生前、先生は「トケイさん、トケイさん」と本名ではなく“時計 紅兎”の名で私を呼び続けてくれた。私はそのことにとても救われていた。

 

つまらないというものは、ハッキリとつまらないという人で何でもやらせてくれたが褒めてくれるのは結局、私の得意分野であり、先生自身が面白いと感じたものばかり。

けれど「文学で、紙の上でやってはいけないことはない」と言っては私に色々な意味で歪み切った短編小説ばかりを進めてきた。

 

結局、私達の落としどころは江戸川乱歩の短編集。

 

先生は私の書く世界や作品を夢野久作と同じような匂いを感じると言ったが、読むように勧められるもの、書き取りをさせられたのは江戸川乱歩ばかりだった。

 

鏡地獄から始まり、屋根裏の散歩者、赤い部屋、そして……『芋虫』。

アレと同格の物を描けるようになれとは今振り返ってみれば、とてつもなく酷で最高の恩師だ。

 

先生は私の作品に一番触れてくれた人間だった。だから、様々な話をしたわけではないが私の状況というものに気が付いてくれていたのかもしれない。

なので「書いてはいけないものなどない」という言葉の次に言っていたことは「もっと傷付いて、苦しんでください。病んでください」と言われた。

 

「でなければ、多くの人に訴えかけられる作品はかけない。何も見えない。感じられない」と。

 

大衆の望む幸せや健康や健全さ。そういうものをある意味で嫌っていた。

そのすべてを持ち合わせず、けれど無垢な素材の私という生き物は非常に未来の見込みがあると思ってくれていたのだろう。だからこそ、恩師は今でも私を助けてくれていると感じる。

 

私は忘れかけていた自分の夢、恩師が指し示してくれた未来を思い出すことができた。

なのにまったく上手くいかない。思った通りに書くことができない。

 

正直なところ、それは私が先生に褒められていた世界の物語ではないのだ。

他人の意見に振り回されるのは好きではない。ないけれど、さすがにここまで上手くいかないと一旦、自分自身の向上を待つべきなのかと考えざる負えないのだよね。

 

「トケイさんの作品の魅力は混ぜられている毒ですよ」なんて言葉。

アノ人にもよくいわれた「人を殺さなければ気が済まないのか」と。

 

結局はそこなのだろう。私の世界は蝕まている。そう、蝕んでいるくらいが丁度良いのだ。

古いと言われようとも、人間はきちんと散らしてやらなければならない。そこが私の世界の中心なのだろうさ。

 

そんなことをちょっと改めて思わされたよね、先生――

先生、本日の天界の天気は如何ですか?? 地上は少々面白いことになっていますよ。