「ねぇねぇ、知ってる?? あの空き地の花の噂」
「花の噂??」
「そう。ひまわりみたいに背が高いんだけど、ひまわりではないらしいの。なによりもその花は喋るんだって」
喋る花。なんて奇怪で、幼稚な発想の噂なのだろう。
そういったことを気にとめない性格の私は、数日後にはその花の噂なんて忘れてしまった。
「ねぇねぇ、これみて??」
友人のスマホに映っていたのはヒマワリのように背の高い、大きなつぼみの花。
「これ、噂の花なんだけどすごいの」
私の反応など無視して友人は話を進める。何でもこれは他のクラスの友達から送られてきた動画らしいのだが、花が話をするところが映っているそうだ。
二人でジッと画面を見つめていると、一瞬風に揺らされたように花が動き、ハッキリと声が聞こえてくる。とても落ち着きのある聞き取りやすい男性の声だった……
初めはフェイク映像なのではないかと思ったが、すぐに沢山のよく似ているけれどどれも違う動画が学校には広まり、フェイク映像だという疑いは消えることになる。
だって、同じ映像を見ているのに全員に聞こえてる声が違ったから。
喋っている内容自体は大差はない。だけど、声はそれぞれで女性の人もいれば、好きな人とそっくりな人や自分の亡くなったお父さんの声と同じだという人まで合われれる始末。
噂の空き地には毎日のように人だかりができて、初めは雑草だらけだった場所が土がむき出しになるほどらしい。
そんなに人が殺到する理由はなんでも、声は聴く人それぞれで違っても話の内容というものはその撮影した人が望んでいる言葉をくれるそうだ。
正直なところ私自身も興味がなかったわけではないけれど、近隣から通報があって最近は先生が見回りをするようになったそうなので、私はリスクを冒してまでほんのわずかな好奇心を満たすつもりはない。
1ヶ月程が経とうとしていてもあの花の動画は途切れることがないどころか、加速していた。
何故ならもうすぐつぼみだった花が開こうとしていたから。みんな口々に自分の理想の花の姿を語っていた。まるでその花が自分の物かという程に。
その理想の語り合いに参加をしなかったわけではないし、自分なりのこんな花ならいいという願いは持っていた。周りの友人には秘密にしているが、私もコッソリと一度だけ動画を取りに行ったんだ。
30秒にも満たないその動画には確かに私の望む言葉があの声で入っていた。
『俺、君の絵好きだよ。みんなに見せてるのじゃなくて、家で描いてるやつ。あの尺取虫、もっと見たいな』
誰も知らないはずの私の秘密。それは昔、周りから気持ち悪がられて誰にも見せることをやめていた尺取虫の絵のこと。得体のしれない花に言われたことなのになんだかとても嬉しくてしかたがなくなってしまった。
だから、できれば自分が好きなエメラルドの花が咲けばいいのになんて考えてはいた。けれど様々な動画を見る程に愛着がわいていた私はどんな姿でもいいという考えに落ち着いたけれど、周りは違うらしい。
自分の一番気にっている動画を繰り返し中毒のように見ていて少し恐怖に近いものを感じる。
けれど花の噂はある日、パッタリと消えてしまった。
みんないつもと変わらないように、過去の動画ばかり見ている。
「ねぇ、あの花はどうなったの??」
熱心だったクラスメイトに訊ねてみたが、過去の動画を見ながら一言こういったのだ。
「思ってたのと違った」
――――その日の帰り道、遠回りして空き地の前を通ってみた。
荒れ地のようになった空き地の真ん中には折られ踏みつぶされたあの花が横たわっていた。どうやったってもうもう元に戻すことはできない。
思わず「ひどい」声がでた。『そうだね』と間髪入れずに返事があったので、周りを見たが誰もいない。しかもその声はあの動画の声。
ぐちゃぐちゃにされた花に近づくと、咲いた花は色を混ぜ過ぎたような淀んだ茶色に近い色で赤紫の斑点がついていて趣味が悪いという表現が近いと感じてしまう。それでも、よくよく見ればとても綺麗な色の部分もある。
花に話しかけるというのもおかしな話だけれど「大丈夫、じゃないよね……」と問いかけてしまった。
『みんなの望む姿の花になろうとしたらこんなことになっちゃったんだって』
あの声はどこか他人事のようにそういった。
「気に入らなければ見なければいいのに」
花びらを1枚拾いあげる。
『子供だったんだからしかたがないさ』
どこか悟ったような物言い。
「子供っていってももう、高校生だよ」
花びらと会話をする日が来るなんて。と感じていたけれど『最近は30歳を過ぎても男子女子という言い方をするときくけどな。それは大人になりきれてない大人が増えているから使われてるわけじゃないのか??』と声と同時に花びらの柄の一部が動いた。
そこにいたのは茶色に薄く青色の筋が入った尺取虫。
「違うと思いますよ」
思わず敬語で返事をしてしまう。
『そうなのか。人間の文化はやっぱり複雑だな』
尺取虫と目が合った気がする。
「もしかして、貴方がずっと話をしていたんですか??」
頭に浮かんだ疑問をそのまま投げかけた。
『そうとも言えるし、違うとも言える。あの花は人の望みの花を咲かす花』
尺取虫は他人事のようにボロボロの花のことを紹介する。実際に他人なのだが。
『君は確か、あの尺取虫の絵の子か。変な趣味を持ってるね。とても興味があるけど。ほら俺も尺取虫だから』
ニシシとでも笑うように揺れる尺取虫に動揺が隠せない私だったけれど、少し話し合った末に、喋る尺取虫さんは私の家に来ることになった。
あの喋る花の仕組みは、花が考えを読み取り、この尺取虫さんが喋っていたそうだ。聴く人によって聞こえた声が違うという仕組みについては『実際に俺の声がちゃんと動画に入ってるとは思えないからな。自分の脳内で好きに変換してるんだろ』ということらしい。
では、今聞いている声も私が勝手に思い描いている声なのかと訊ねてみたが、結構自分でも思っている声に近いそうだ。何故だろう。
それから私はその奇妙な尺取虫と3ヶ月程一緒に過ごした。
尺取虫さんを映しながら喋ってもらってその映像を周りに見せたが、最初は「あの声だ!!」と喜んだ癖に画面を見ると「違う」と否定する人ばかりだった。尺取虫さんはいつものように『そんなものさ。世の中見た目が大事なんだよね』と湯のみ茶碗の周囲のサイズを測りながら言う。
3ヶ月の間に尺取虫さんの柄はどんどんと変化していったので、私はそれをスケッチするのが日課になった。
そのうち尺取虫さんはサナギになって、あの少し騒がしいような声が聞こえることはなくなり私のスケッチブックもサナギのスケッチばかりになっていく。
もうすぐ春が来そうだと思た風の強い日、部屋に帰るとサナギは抜け殻に変わっていた。周りを見回してもあの尺取虫さんはいない。
代わりにいたのはエメラルドグリーンの少し白茶の斑点がある木の葉のような一匹の蛾。私が一番好きな種類のコヨツメアオシャクだった。
蛾は器用に一ページずつスケッチブックをめくって中身を見ていた。
「成虫になったんですね。……とても綺麗な色です」
私が声をかけると、机のすみに止まって『俺が汚い茶色の落ち葉みたいなのだったら幻滅したか??』などと問いかけてきたので「どんな姿でも。尺取虫さんですよ。もう、尺取虫じゃないですけど」というと独特の笑い声で尺取虫さんは『変態だな』笑う。
成虫になった姿の絵が完成すると、彼は『さて』と言って窓に近づいた。
「行っちゃうんですね。もう少し暖かくなるまで待てばいいのに」
絶対に窓が開かないように抑えたけれど、自分は仲間だというように桜の花びらが外では舞っている。
『今まで言ったことがなかったけど、あのとき君が見つけてくれてよかったって思ってる。じゃないとこの姿にはなれなかったからな。この弁舌の才能があったとしても』
尺取虫さんは翼をはためかせた。
「その姿でも、人間に話しかけるのはやめた方がいいですよ」
私は寂しさを隠すように呆れて見せる。
『それもそうだな』
窓を開け放つと、尺取虫さんはサヨナラも言わずに風に乗って消えてしまった。
彼が居なくなった代りに春の風が舞い込む。
風でスケッチブックのページがめくれていく。私は尺取虫さんを一番最初に書いたページを見て呟く。
「尺取虫さん、貴方も望みの姿になる何かだったんじゃないんですか?? だって私、現実ではこんな尺取虫は知りませんよ。私、どんな姿でもよかったのに」
そこに描かれていたのはその隣のページに描かれている、自分が勝手に作り出した茶色に青い筋の入った尺取虫の姿だったからだ――――。