久々に雑誌という媒体の読み物を購入したクレトです。
私は基本的に単行本派なので毎月発刊されるような雑誌を買うことはないのですが、それなりの専門知識的なものになると時折購入します。
さて、何の雑誌を買ったのかは少々伏せさせて頂くのですが実際に自分に必要だったのはその中の数ページの情報で、それでも買ったのはどのくらい時代が変わったのかということの確認のためというようなところがありました。
結論として、面白かったです。ですが、正直残念に感じる部分も多かったというのが本音。
情報は武器だと良くいいますが、私は自分でも自覚している以上に身体が弱く、精神はもっともろい。頭が良いわけでもなければ、特技や必殺技があるわけではない。大技のようなものなんてあるはずない。
そんな私が自分の身を守るために。精神を守るために使っているのは情報。多くの情報に目を通し、それを盾として使って生き抜いてきました。
「そんなの誰だって同じだ」と言われるとは思うし、理解してもらえることではない。
それでも私は幼少期にとある取引をしたことがある。《一番正解に近いもの》を判別できる。という能力の対価として《自由な発想》という能力を捨てました。
私が人間の世界で生きていくためには必要なことだったのです。
母親はそのことで酷く私を罵りました。母親自身が潰した才能だったのに、私が作り上げる世界。0から生み出す様々なもの。それを沢山の大人が誉めてくれていたことはよく記憶しています。けれど、今の私にはもうその力はありません。
0の答えは0だから……
私には空想力や想像力というものがない。あるのは、想定。もちろん何かの形を作り替えるということはできますよ。それは妄想です。
想定と妄想は得意です。いや、得意というよりも支払い続けている対価の私の取り分。
情報を取り込めば取り込むほど、想定の精度は上がります。それこそちょっとした未来予知に近いほどに。
ついでに良くいわれるのは、私の小説を読んでくれた人は想像力が豊かだと褒めてくれますが、私には想像する力なんてないです。私はただいつだって、自分の見たものを書いているだけ。自分の中の情報で綺麗にラッピングして、まるで初めてのもののように見せているだけ。
よく私が飲み込まれる様々な恐怖の多くから語る言葉は妄想ではない。私の知識の中にある可能性を語っているだけで、未知であるということに恐れている。そしてそれが未知でなくなっても自分の力で対処できないこと。対処する方法を知らない未知を恐れている。それだけなのだ。
こんなの完全に言葉遊びじゃないかと思うかもしれない。たしかに半分以上言葉遊びである。第一、私は“未知”が恐いと先ほどから言っているが、タイトルには“無知”としている。これも言葉遊びといえる。
簡単にいえば、未知は「わからない」ということ。無知は「しらない」ということ。これだけの違い。でもこれは大きな違い。
知っていてもわからなければ恐い。ならば、もちろん未知の方が恐怖のはずだ。
でも、未知は原因を突き止めてしまえば、それで解決することが多い。だがどうだろか。
未知の原因がわかってもそれが理解できなければ、それは恐怖のまま。つまりは無知から生じる未知が再び生じる。だから、私は無知ということに対して恐怖を感じる。未知よりも、無知が恐い。
世の中には「知らぬが仏」という言葉あることはもちろんながら知っている。
たしかに様々な物事を探求していると、知らなければよかったと思うことも多い。でも、最終的に理解して、納得さえできれば『知らなくてよかった』などと思うことは極端に少ない。
だからこそ私は現在の仕事がそれなりに性にあっているのだと思う。
話を少し冒頭に戻させてほしい。久々に買った雑誌の内容に残念さを感じたのは私がそこに載っていた情報を知っていたからだ。もちろん自分の得意分野とするところの情報だったからであり、以前にそれなりに学習していたせいもあるが、とにもかくにも私はその中の内容を知っていて10年近く経つのに殆ど変化がなかったからなのだ。
世界には結局時代がどれだけ進んでも変わらない部分というものが多く存在する。
もう少しなにか違うのではないかと期待したのだが、この分野はある程度停滞しているのだろう。
ただ、その中で一点とても笑ってしまったのはある意味でどこぞの知識人達が書いたような記事のはずなのだが以前友人と考えて、あまりにもチープ過ぎるからよりいいアイデアはないかと模索した内容が書かれていたことだ。
結局のところ我々は既に最善と呼べるような結論に至っていたわけで、これには笑ってしまった。
その友人とは様々な話をした。馬鹿な話から真面目な話まで。
ある意味で二人で一つの存在であるかのように我々は足りない部分を補い合い、ある意味での完全に近いものを手にしていた。
『恐いものなんて何もない』などというとどこかの死亡フラグのようだが、あの日々の恐怖はその日々に終わりが来ることくらいで、なんだってできると思っていた私がいる。
おかげさまで、私の周りは勉強ができるという意味ではなく頭の良い人間が多かったわけで、けして不毛なやり取りをしないというわけではないが、私が好んだ、私が好意を感じた人間とはいつだってくだらない議論を交わしていることが多かった。
代表的なのは元親友と呼んでいる存在だ。のちに私が一番愛していると語る人物とよく似た男だ。
彼とはニュースの話から、精神論、病気、科学、法律、政治論、世界情勢と結論なんて出ないもののギリシャの哲学者かというように妙な話で常に盛り上がっていた。
とても楽しい日々だった。もちろん美化はされている。それでも、今でも彼には感謝をしているのだ。
少しおかしな話だが、今朝、春の少し温かさを含んだ北風が時々吹く中、雨上がりのすんだ空気を煙管で風味付けして味わいながら気が付いた。紺だった空が段々と白く、白く、そして世界が騒がしくなる中で。
私が好きなのは、元親友のように取り留めもない、けれどまったく無為でもないそういった議論ができる、そういった頭を持っている人なのだと――――もちろん、条件はそれだけではないけれど、ある程度の知識を持っている無知ではなく考え、それを言葉にできる人間が好きなのだ。
教えをこわれるの嫌いなわけではない。教えることも嫌いではない。ただ、考えようとしないやつは嫌いだといえるのかもしれない。
このところ、保護者役に私はキレることが多い。もちろん保護者役も良い歳であり、なんの技術もないわけではない。ただ、保護者役は考えるということをしないのだ。
それは私に対してだけではない。わからないことがあればすぐに訊ねる。問い合わせる。そうした能力は私にはないので、一つの美徳だとは思う。良い能力だ。だが、そこで終わる。それは駄目。
この保護者役は今回のコロナ騒動で一番初めの頃、二月の終わりだったと思う。陰謀説を信じ込み、世界が滅びると叫んだ。あまり情報に触れていなかった私でも今回のウイルスが殺傷性が少ないことは知っていた。だから『馬鹿なことばかり叫ぶのはやめろ』と言ったのだ。
保護者役が死にたいけど死ぬ勇気がない人間なのは知っている。犯罪を犯す勇気も、ほんの少しの行動を起こすこともないく、愚痴をこぼし続け、他人を偶像のようにあがめだしたときは絶望にも似た感覚に襲われた。
他力本願の見本のような大人だ。
今回の騒動はまだ中盤に差し掛かるかどうかだと私は見ている。今から政府が最善策をとったところで、情報がハッキリわかっていないからザックリとした予想だが7月くらいまではパンデミックは収まらないだろう。
一定のレベル以上、健康な人間にとって、くわえて日本という国だけ見ればこれは流行り風邪のように気にされることのない存在になっていく可能性は高い。ウイルスがこれ以上変化しなければという推察だが。
もちろん海外の様子がわかっていないので、色々と引っ掛かっている部分は多いし、日本でももっと症例が必要になるし、正確な情報というものがないので本当に素人の予測にしか過ぎない。
それでも自国で大量の死者が出ない限り、多くの企業は営業形態を戻すだろうし、規制を受け続けるのは学生くらいだろう。
国が関わる施設や身動きが取れない経営者達は今現在でも既に圧迫されている。つまり、このパンデミックで一番恐ろしいのは経済の崩壊で、これはウイルスを発症するよりも致死率が高い。
なので、私のような精神、経済的にも弱者であるものは少しずつでも今後の経済パンデミックに供えなければ、政府、国というもの自体がパンクして頼れなくなる。つまりは最後のセーフティーネットである国の助けを得られなくなる可能性を視野に入れなければならないので、どんなに準備してもし足りないと考えている。
とてつもなく自論を展開してしまったが、経済的弱者という点では保護者役も変わらない。
あちらの場合は自業自得というよりも、自ら選んで経済弱者になっているという部分がいなめないが、警戒すべき部類の人間なのだ。職業的に。
だが保護者役の回答は「みんな死ぬから大丈夫だよ」というようなものだった。その後も「死ぬ」や「殺す」のような自分の目先の解放ばかりを歌い、最終的に口にしたことに私はいきどおりを覚えた。
「政府が安楽死を導入するって」
なにをどう考えればそうなるのか、私にはハッキリいって理解ができない。これこそ空想だ。願望からの空想だ。
地球が逆回転を始めたとしても、日本で安楽死が始まることなどないだろう。それに、安楽死と安易にいうが、安楽死と自殺幇助は違う。
もちろんそのことについても私は説明をした。それでも保護者役が何かを考えた気配も回答もなかった。話し合いにすらならない。
私はこういった不毛は嫌いだ。
自分も似たような話や話し方をしたこともあるだろう。第一この書いていること自体が、ある意味で不毛なただの愚痴としか言えない。けれど、なにも考えずに語っているわけではないつもりです。
会話にならないということは私にとって非常に苦痛といってもいいだろう。不愉快だった。
婚活をしていたからという理由ではあるが、数回プロポーズを受けたことがある。その中には自分から好きになった相手よりはましな相手もいた。それでもその人に魅力を感じられなかった一番の理由は頭を使った不毛な論争ができなかったからなのかもしれない……
私は恐いのは嫌いだ。けれど、無知から生じた未知という恐怖。その恐怖から解放された瞬間の快楽は、そう、死ぬ瞬間に感じる快楽よりもとても甘美だと、最近の私は感じている。
生を願うわけじゃない。でも、死にたいと思わなくなってきているのだ。
ある人の言葉を借りるなら「『これ以上に面白いことはない』」。
きっとあのときの私は不気味なほどに笑っていただろう。