あの人の着信音は化物語の貝木泥舟のBGMだった。理由は自他共に似てると思っていたから。いや、目指していたという方が近いのかもしれない……
中学の道徳の授業で《結婚相手に求めるもの》というような授業があったのを記憶している。当時の中学生からすれば少し、荒唐無稽な気もしていたが、まだ二十代前半で結婚するのが当たり前に近い時代だったから中学三年ならば売れ残りになるまで10年というところだ。
10項目ほどランキング式で理想を書いていった。
私は今でも一位と二位に書いたことだけはよく覚えている。
一位は『特殊なことを理解してくれる人』。二位は『私のことを面白いと思ってくれる人』と書いた。
他の書いたことで覚えていることは《眼鏡の似合う人》、《オタクに理解があること》、《本を買っても怒らない》、《怒鳴ったりしない》、《彦という字が入っている》、《私を殺しても当たり前の顔をして次の日を迎えられる》、《声が素敵な人》。と、数点意味の分からないことも書いたのも記憶にある。まあ、その辺りはアニメなどの影響だ。
先に一点理解しておいてほしいこととして、我が家は元々から恋愛禁止という暗黙のルールがあった。これは私が高校を卒業するころには、当初の理由とはべつで身内全体に広がることになる――
禁止されるとより意識してしまうのが人間の性というものだと私は思う。だからこそというのはまた別だが、私は人並に人間に対して恋愛的好意を感じることが多かったし、結婚願望や男女の特別な関係だからできることに憧れを抱いていた。
恋愛についての理論本を無意味に呼んだのは、単純な読書好きの果てだ。
おかげで私は自分の好きなタイプというものを『オタク属性理系眼鏡男子』というようになった。
そして、その男は自身が理系であるということを全面的に押し出しているやつで、眼鏡男子であり、オタク。パーフェクト以外の言葉がなかったんですよ。えぇ。
知れば知るほどに、私の妄想なのではないかというほど理想的を一つずつ射抜いていく人だった。
始めての出会いはネットの中で、アバターがとても好みだった。髪の色のチョイス、髪型、服装、眼鏡の形、背景のセンス。自分が作ったんじゃないかというくらいに、好みで驚いた。絶対に友達になりたいと思った。
SNSでの出会いだったから、私はさりげなく、でも確実に距離を詰めた。2011年の3月13日……そういえば、わかってもらえるだろうか。東北震災で私はSNS内の自警団的な方々に声をかけられて、コラム記事のようなものを書いていたのだ。
その人は私が日記を書くたびに見に来てくれて、イイネを押してくれた。だから、それを利用するように近づいた。今考えればひどい話だけれど、そんな理想を逃がしたくなかった女子としてのしたたかさといっておこう。
誕生日が3月22日だった。
まだ親しくはないけれど、お祝いのメッセージを送ってたら、初めての一人暮らしを始めたところだった彼はとても喜んでくれて、そこから急速に距離が縮まることになる。
ネットという大海原の中で、私達は同じ市内というめぐり逢いだったことに驚いた。そして、聴いている曲があまりにも同じということや、読んでいた本、アニメ、ゲームが面白いくらいにかぶっていた。
直接会うことになるのは約1年後。
でもその前に、他のSNSで違う名前や写真で登録していたのに同じニュースを見ていることが多くて、私達はそちらでも友人になったのは笑った。
ある意味では一種のネトストされていたのだろう。
リアルであったときは、彼から見た私はタイプとは全然違ったらしい。私だって、二次元が三次元になって初めから好みだったかといわれれば違った。でも、一緒に過ごす程に笑顔が好きだと感じるようになって……
第一に、理想的な身長。見事な眼鏡男子に、理想的な長さの癖毛の髪。結局数か月後に切ったけど。
彫りの深い顔は綺麗だと感じた。それに声がとても綺麗で、好きな声だった。あと、ファッションがあまりにも自分の好みだったのはビビったわけで。
話の運び方や淡々とした口調は聞き取りにくいところがあったけれど、精神的な負担が少なかった。
好きになるなという方が難しかったけれど、彼には好きな人がいた。会社の人らしい。
なので「良い関係になれるといいね」とだけ、お互いに笑い合って、次第に感覚がズレていったのだ。
一つ目の大きなズレはSNSに顔を出さなくなったこと。
一方的とはいえ、いつも私を見ていたということがなくなった。コミュニケーションにズレが生まれ始めた。
二つ目のズレは彼の特殊な性癖にあったのだと思う。
独り暮らしの自由度が転じてなのか、かなり特殊な性癖を発揮してしまっていた彼はあるときから私とは距離を置くようになっていた。
三つ目のズレは完全に二次元に染まったこと。
とある戦艦ゲームが出てから彼はカラオケにさえいかなくなった。ずっと引きこもるようになってしまった。
彼は何かを強く主張する人ではなかった。出不精で、でも初めは寂しがりで、私が傍にいても何か言う人ではなかった。
私のおかしな事情も、無表情に近い顔で笑っていた。
独特な、でも理論的な考え方の持ち主で、私の放つ疑問に面白い回答をくれた。
だからこそなのだろう。
四点目のズレ。
私は彼の期待を超えられなかった――
彼に私が勝手な理想を抱いていたように、私に彼も何かしらの理想を抱いていたのだろう。
それに、社会という荒波にもまれてすさんでいった。
私を置いていくように、彼は独りで青年から大人へとなってしまったのだ。
人として私を見ていた彼の最後の鍵を外したのは私自身だった。
べつにそれについてはあまり後悔していない。それはそれで楽しい日々だったし、あの日々の経験がなければ私の青春はもっと色がなかった。なにもなかった。今思い返しても、正直なところ11月4日のことも、8月17日のことも笑みがこぼれる。
けれど良くいう話過ぎる。家畜とデートする人間がいるのか。
答えは“否”でしかない。
彼を受け入れ過ぎた私を、彼は友人とはみることができなくなったのだ。
初めから恋人というカテゴリーではみれないと言われていたのだから。それでも、欲望に彼は堪えられなかった。抗えなかった。私も。
こうして、私の理想の人は消えた。
今でも思うのだ。彼は104号室に住んでいた。薄暗い部屋で、生活感はある意味で満ちていた。私のおもちゃ箱かというように趣向が近いから。
でも、本当にそんな部屋は存在したのかな?? 104号室なんてさ……
今日は彼の誕生日だ。
好きなのかと問われればたぶん、まだ好き。でも、彼にとって私は都合のいい存在でしかない。未来があるわけじゃない。お互いに利用価値はかなり薄い。あんな扱いをされたのに、今更何かを改めるからって言われても受け入れられるはずもない。
だから、彼はいつまでだって私の中で綺麗な理想の塊なのだ。私の幻想なのだ。だってさ……だって、彼の名前《○○ 〇彦》って、いくらなんでもできすぎてるだろ!!
まあ無理矢理にでも話をまとめるなら、体は安売りしちゃいけないって話。そんなことを言っているクレトさんは数年前までキスもしたことなかった処女ですけどね!!!!
正直流石にこの年齢まで処女って言いうのは辛いところを感じるっていうか、でも安売りはしたくないし、もう男女関係でややこくなるのとか嫌ですし、というか周りに男性の影も形もいや、一切合切ないわけじゃないんですよ??ろくでもない話なら転がっているんですけど、もうすでに問題で困ってるからそういうところに手を出すつもりはないし、くわえていうなら、新たな人との出会いとかいうのにもビビってるわけで、今は恋愛とかそういうの余裕ないというか、ちょっと前に聞いたホスト話がガチ話ならオレもう婚活アプリやるのも結構怖いというか、第一最近婚活アプリでイイネくれる年齢層がおかしいんだよ!!まあ年齢的なもののせいでもあるんだけど、最近年下主義になったというか、ある程度が同学年がいいのはいいんだけど、学校に同じ期間いたくらいね。でも先輩よりも後輩が良いなとか思いだしているわけで妖怪が理想論語ってんじゃねぇよって?!ああ、そうですね!!所詮妖怪ですよ、孤独に生きて蟲毒に死んでいくんですよ!!呪い祟ってやる!!人間共覚えてろ!!って感じです。この小さい文を読んだ方お疲れ様でした。そんな勇者なあなたには明日、缶コーヒーが一本当たる呪いをかけたげ〼。
最近、記憶の整理をしているとこういうことも沢山思い出すからつらいクレトでした。おしまい!!