お疲れ様です。CLAMP大好き妖怪、クレトです。
ただし、カーキャプクリアカード編は3巻で止まっています。
昔、不意に母親が「CLAMP作品には本当の悪人って出てこないんだよね」と言っていたことを印象的に覚えています。
たしかにCLAMP作品には敵キャラのようなものは出てきたり、人を殺すキャラは登場するのですが、全員が根っからの悪人やある意味で自己中なキャラっていないんですよね。これはひとえに先生方が自分のキャラクターを愛しているからだと思っています。
本日の本題。産まれたときに私の母親は俗にいうカルト宗教にハマってしまい、私自身もその宗教の教えというものを叩きこまれました。
けれど父親はその宗教には一切関わっておらず、自分自身は自分が持っていた障害のせいなのか宗教の教えを完全に信じることはできなかったんですよ。
違和感と戦いながらも、自意識というものが覚醒した頃にはどうしてもその宗教の教えからの人格というものが出来上がっていて、今でも変えられない部分があります。
それは――狂気的な善性。
“他人を憎むことができない”。“簡単に他人を許す”。“何でも受け入れる”。
今、こいつ何を言ってるんだ。と思った方は正直に挙手!!
たしかに日頃から「リア充爆発しろ!!」とか叫びまわっていたり、他人の悪口を言わないわけでもないです。うらみごとも言います。好き嫌いもありますし、譲りたくないと思うこともあります。
けれど実際問題、制御しないと自分を殺そうとした相手とも心から笑いあえて、場合によっては有償でも愛することもできてしまう。これはDVによる影響も大きいと考えていますが。
まあでも、やはり正直なところそんな性格の人間は一定数いるって思ってはいるのですよ。ただ一般的な人間、あるいは動物的にはどう考えても異常なことです。
今年で東北大震災から9年が経ちました。正確な日付けは記憶してませんが、震災から1週間経たない頃に私の母方の祖父は手術をおこないました。理由はガン。
手術に成功しても1年間、生きられるかわからないと医師から説明され様々な覚悟をしたのを今でも覚えています。
しかしながら、妖怪の家系ということもあり9年経った今も祖父は生きていて、年相応の体の衰えというくらいです。
今現在、私は身内の人間から逃げる生活をしていますし、この祖父に対しても恐怖を抱いています。意識ではなく、体が拒絶反応を起こす。どんなに自分を律しても、どうすることもできません。
我が家の血縁には私を虐待しなかった人間はいません。
祖父が私におこなった虐待は人格の否定と生活、行動の制限です。希望を与えては、奈落に突き落とされました。それでも、血縁の中では一番まともで愛がなかったわけではないと思っています。
けれど、祖父がいなければ現在の私は違う生活ができていました。
現状を否定するつもりはありません。色々大変ですがクレトは今の生活というものを楽しんでいます。過去に戻れたとして、邪魔されて選べなかった未来へ進みなおすかと問われれば、きっとしないと思います。
でも味わった苦しみ、痛み、悔しさ、恐怖は忘れられるものではない。
ないから、私はハガキ1枚ですら祖父母に送れません。電話がかかってきていたらと恐怖して携帯を簡単に開くことができません。もしも、この家に手紙を送る方法に気が付いて、手紙が届いたらと怯えながら暮らしている。
18年の年末には祖父母の家に行くストレスから、様々な体の異常を体験しました。私はあまり死ぬことに対して大きな恐怖は抱いていません。けれど、思い返すと今でもそのときの痛みと苦しみがよみがえり、涙が止まらなくなります。
そのときに一番辛かったのは、言葉が話せなくなってしまったこと。
声が上手く出せなくなり、吃音状態になりました。一言も喋れない日もありました。
声を使った仕事はもちろん、仕事の打ち合わせも困難になり、何よりも当たり前にできていたことが突然できなくなった恐怖は言葉で表せるものではありません。
そんな状態になってでも祖父母の家に行ったのは、自宅にいる方がもっと辛かったというのもありますが、祖父母が私の来訪を楽しみにしていたから。
と言っても、二人が楽しみにしているのはクレトトケイという存在ではなく“理想的な孫”という存在でしたが、私はそんな二人を見放すことができませんでした。沢山、傷を作られるのがわかっていました。自分を否定されるのがわかっていました。でも、必死に期待に答えました。
「血縁なんだから当たり前なんじゃない?」と思われるかもしれません。血縁を大切にするのは人間の本能的な部分ですから。
「クレトがマゾなだけなんじゃない?」と思う人もいるかもしれません。たしかに私には被虐的な部分は多いです。だからといって、存在を否定されて喜ぶほどに見えますか?
私は、クレトは、クレトという存在を否定されることは許せません。
なので祖父母のとる行動、発言を許すことはできない。できないけど、祖父母自体は許してしまっているのです。憎んでもいません。心としては虐待を含め、私は祖父母を受け入れています。
『そういう風にしか私を愛せない人達なんだ』と、理解して、愛されているのがクレトでないこともわかっています。その上で、自分にできることをしたいと今現在でも願ってしまうのです。
こういう言い方をすると「それは血縁だから当たり前だよ。今までの恩もあるでしょ?」と思われるでしょう。たしかに完全にそれがないと否定はできません。しかし、私がそれを感じるのは血縁だけではありません。
友人という存在は当たり前ながら、ネット上の名前も知らない相手、仕事上の相手、殆どなにも知らない相手であっても近い思考になります。
現在、容易にこの特性が現れないのは、幼少期はこの善性があまりにも強すぎて大事にはならずとも犯罪に巻き込まれたこともあった為に周囲の大人から自分の行動の全てが恐怖に変わるほどしつけられたからです。
もちろん大人になるにつれ、利益率を考えるようになったというのもある。基本的には常識を好む妖怪なので。
けれどそんな今でも何も思考しないと私は『この世界に悪人など存在しないのではないだろうか』。『様々な事情を抱えているのだろうから』。『なにかきっかけさえあれば、悪習をやめるだろう』と考えてしまったりしまいます。
今、文面にしたら、正直なところとてつもなく気持ち悪くなりました。でも私の奥深くにはこんな狂気的な善性が根付いているのです。
だからこそ、私は自分が自分自身も維持できないほど、非力で財力もなく無能であることに感謝していたりもします。また困らされてもいる異常すぎる恐怖心と正直すぎる身体にも。
でなければ私はこの世に今現在、存在できていませんから。ただ、この狂気的な善性を管理できていない。
いないから、改めて考えてみたわけなのですが、これを考える原因となっていることについては改めて書きたいとは考えています。
ただ、最後に書き残すなら……
……現実の魔術は絵本のように万能でも夢があるわけでもない。もっとおどろおどろしく、法的に手をくだした方がマシな代物で、現実で何もしない人間になど力を貸してくれるものではない。とくにそれを理解できな人間は関わってもならない。
けれど、種をまいてしまったのは私だ。殺意を抱くほどに自分が憎くてたまらない。