お疲れ様です。クレトです。

昨日は色々な方がオフ会話を読んで下さったようで少々戸惑いを隠せません。これもひとえに私の文章力というよりもマスキさんの実績ですね。まあでも、これがきっかけで私の書くものに興味を持ってくださる方がいたらな。なんて……腹黒いことを思ったりしていることは隠しておきましょう。ええ、内緒ですよ?

 

えー、まあ、タイトルの時点でね、本日はオフ会話じゃないことがわかると思いますが、大丈夫ですよ。ちゃんとオフ会の話は完結させます。しかし、まあ、ほかのことも書きたいのと仕事に苦戦しているので、もうしばらくお待ちください。

 

では今日の日記は何なのかというと今日は2月22日。しかも2020年だったり、2だらけですね。ネコの日です。

 

私は犬派か猫派という話になったら全力で猫派でございます。犬が嫌いというわけではないですが、正直苦手であり、犬と一緒に暮らすことは考えられないタイプなので婚活サイトで《将来は犬を一緒に飼いたいです》と書いている人はどんなに好条件でもスルーするくらいです。

 

はい。ひねくれてます。ひねくれてますよー

 

そして、何かのパクリのようなセリフですが『ネコはネコとしてこの世界に生まれてきた。ただそれだけで祝福されるべきであり、美ネコであれ、ブネコであれ、尻尾が長くても短くても、何色の瞳であろうと幸せになる権利がある』そういう主義者だ。

 

ある意味で猫過激派で、ネコを虐待する人間などは許しません。

だからといって、ネコが一番好きな生き物なのかと問われればそんなことはない。ただただ、ネコという生き物が世界にこれだけありふれていることを感謝して生きているだけなのです。

 

我が家は色んな意味で狂っている家庭でだった。

 

小学校にあがる頃までは、母親は眠っていることが多く、人間的な感情も薄かったので怖いときや不安なときはネコの方が傍にいてくれ、遊んでくれていた。きっと彼がいなかったら私はもっと痛い思いをしていたと思う。

 

自分の意見を言いたくなってもそれが許される親ではなかった。

 

でもネコがいってると言ったら許されることが多かった。辛いことがあって、泣きたいときも泣いてしまったらもっと辛いめにあわされた。ほとんどの感情が許されなかった。

けれど、ネコのせいにすると許された。だから幼い私はネコという存在を利用して生き抜いた。

 

ネコは私では見れない人間の表情を引き出してもくれて、ネコという存在がいなければ今の私はいない……

 

だからこそ、今の私はネコが直視できない。私はあの地獄に自分をずっと助け続けてくれた存在を置いて逃げたから。何一つできないから。

 

13歳になるネコと5歳になるネコ2匹。自分のことで必死過ぎて、どうすることもできなかった……あの人達はネコに何があったとしても何一つ知らせてくれないだろう。

 

また、二千円以下で生ゴミのように捨てる。

「腐るから、そんな温まる場所に置くな」

そのときも私は何も言えなかった。

 

本当に自分の母親は人間ではないものなのだと、自分の中に流れる血もソレなのだと恐ろしく、しかし同時に実感した瞬間でもある。

 

なので私は、ネコという存在は半妖である私に人間らしさを教えてくれた。生まれを否定され、生きることを阻害され、それでも死ねなかった私の生きづらさを軽くしてくれた。痛みを肩代わりしてくれた。そんな大切な生き物。

 

だけど、そんな“なにか”がなくてもネコはこの世界に生まれただけで素晴らしく、祝福されるべき存在だ。

 

この世界に存在するすべてのネコに祝福を!!そしてどうか、実家に残してしまったあの子達が幸せに暮らしていますように……

 

もちろん、ネコが苦手って人も沢山いるから一個人の思想なんですけどね。それぞれがそれぞれに自分の好きなものを大切にすればいいと思う。

だって人間も害悪になる存在も多いけど、産まれた瞬間は人間だって祝福されるべきなのだから。