やはり私は口で語るよりも、文字で語る方が性にあっているようだ。なんとなく落ち着く。

しかし、現代人は長文を読むことを嫌うらしいのでその辺りの配慮は今後の課題かもしれない。

 

さて、さっそく本題に入りたいと思う。タイトルの「理解してもらう努力をやめる」という話。

私は昨日に以下のようなイラストをあげた。

 

これは通院している病院で話し合った内容の一コマである。

知っている人は知っていると思うが私は産まれ付きの障害者だ。くわえて、うつ病を患って長いし、家庭事情に問題を抱えており詳しく話せば本当に自伝が書けるのではないかというレベルだ。

 

目に見えない病を他人に説明するときはよく心にも骨があり、それが骨折していると表現します。なので、私はあばら骨が骨折していると考えてみて欲しいと考えたりする。

あばら骨は折れやすいですが、数本折れただけでは生活に大きな支障はありません。けれど大抵は痛み、放置しておいてよいものでもありません。その折れたあばら骨はもしかすると臓器を傷付ける可能性があるからです。でも痛みがない場合もあれば、放置する人も多い。なので、見えない病気に近いと感じます。

 

「あばらが折れた」と言ったときの他人の反応は様々で、自分が経験していれば、その経験から話をしてアドバイスをくれたり、共感したり、逆に軽視したり。また、身近な人に経験者がいればそこから想像する人。全く初めてなら質問攻めにする人もいるでしょう。

 

ここで少しだけ、想像してみてください。あなたが友人をカラオケに誘うと断られたとします。

どうしても一緒に行きたかったあなたが理由を訊ねると「大きな声を出すと、折れたあばらが痛いんだ」と返答が返ってくる。けれど、友人があばらを骨折したのは半年も前の話。

『まだ痛むのか?』と訊ねると「実は事故って……」。

あなたは驚くでしょう。安否と事故が起こった状況を訊ねるのではないでしょうか?

そして友人がこんな風に話をしたとします。

 

「体は打撲だけだから入院はしてない。でも、車は乗れないわけじゃないけど修理には出した方がいいと思ってる。でも今、お金がなくて悩んでるんだよ。まず事故を起こした原因は仕事をやめなきゃいけない状態になったからで、半年前にあばらを折ったのは知ってるだろ? あの怪我が治りかけているときにまた同じあばらが折れてしまって、医者から仕事を変えるか、きっちり治るまで休んだ方がいいっていわれて、それを上司に報告したら今日辞めてくれてもいいって言われて考えさせてくださいって、会社を出た帰り道に事故ったんだよ。本当についてない。そんなわけで、正直声を出すのもしんどいんだ」

 

実際に会話をしていれば、ここまで息の詰まるような文章にはならないでしょう。けれど、あばらが折れた理由もこれと同等、もしくはそれ以上の事情があったとします。このような話が続くと人間は段々と理解を放棄していきます。

そしてあなたはこの話を聞くのが初めてでも、友人は何度目になるのでしょうか? それでも一通りのことを説明しなければ、会話は成立しなくなるので上文と近い量の説明を繰り返さなければいけない。というのが、目に見えない病を抱えている人の現状の一つです。

 

多くの目に見えない病を抱えてる人は、理解されることが難しく、だからこそ理解してもらえるように努力をします。それが生活するために必要だから。

私も必死に説明して、理解してもらおうと今まで努力をしていました――

どうしたら上手く伝えられるのか。どうしたらわかってもらえるのか。自分でもわかっていない話でも必死に説明を繰り返し、面白おかしく話してみたり、できるだけ相手に嫌われないように笑顔でできる限り理路整然と努力して説明したつもりです。

 

けど理解は中々得られませんでしたし、理解してもらえなかったことがわかるとその度に「この人も私を見てくれていない。興味すらないのだ」というような絶望に近い気持ちに襲われた。

 

なので私は少しでも自分の負担を減らすために“理解してもらう努力をやめる”という結論にたどりつきました。ある意味で、説明さえすれば、説明責任は果たしているのでその先で問題が生じた場合は理解できなかった方に責任があるのですから。

 

もちろん誠意的な対応はしていきますし、質問があればそれにも答えます。でも自分から“理解してもらう”ということ、そうした期待を寄せることをやめることが他人と付き合っていくうえで必要なのだと私は理解しました。

このことは主治医やカウンセラーといったプロにきいていただき『見えない病を抱えるうえで重要なことだ』という評価を頂きました。なので、私は「他人を理解する努力」はこれからも続けていこうと思います。しかし、自分を理解してもらう努力はやめたというよりも諦めます。

 

結果としては今はとても悲しさと寂しさが溢れていますが、少しだけ心が軽くなった気がしてますよ。