■重厚な煌きを持つ「黄金の島」 -日本での2年半を振り返って

Snuffdog

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かつて、イタリアの探検家であるマルコ・ポーロは、彼の著書「東方見聞録」において日本を「ジパン」と呼んだ。
「ジパン」とは、古代イタリア語で「黄金の島」という意味だ。
現在でも、日本のローマ字表記である「JAPAN」で使われている。
13世紀のモンゴル帝国皇帝クビライ・カアンは、マルコ・ポーロをインド-アジア間の貿易長官として召し抱え、この幻想の「黄金の島」を征服するために数回、戦闘部隊を送ったが、結局「神風」に遮られて失敗した。
このように、日本は昔から接近するのが容易でない未知の世界であり、多くの国々の憧憬の対象であった。
今日でも「JAPAN」の語源が持つ意味は有効だ。
いや、現在の日本は、黄金以上の価値を持っている国だと言えるだろう。
世界最大の経済大国と呼ばれ、東京は超巨大都市の代名詞になり、日本産自動車は世界中に輸出されている。
それだけでなく、文化的にも日本は世界に大きな影響を与えている。
ハリウッドでは、サムライ精神を謳った映画が製作され、フランスの若い人々の間では「寿司」がトレンディーで、健康食品として流行っている。
日本という名称は、商品性のあるブランドとなり700年前と同じように、数多くの外国人らを誘惑し続けているのだ。
「最も近いながらも、最も遠い国」。
私の母国の韓国では、日本に対して、いつもこのような表現を使う。
この表現は、日韓の歴史的な傷の事情に起因している。
韓国人の中には、日本に対して、たとえかなり好意的な感情を持っていたとしても、手放しで「好きだ」とは言えない感情と社会的雰囲気がある。
それゆえに日本に対しては、ささいなことでも、ことさら批判的になる一方で、他の国と同じように日本製品を愛し、決して無視することはできない存在として意識し続けている。
韓国政府は、国民の日本に向けられた憧れに対する憂慮を、制度として現わすこともした。
私が高校一年生だった2002年に「日本文化完全開放」が実施される前までは、公の場所で日本の映画や日本人歌手の音楽を見たり聞いたりすることは禁止であった。
夜、ラジオをつけると海を越えた電波によって日本の歌が聞こえてきたが、何か聞いてはいけない特別な音楽のような気がしていたし、
韓国で放送されていた日本のアニメーションは、あたかも韓国製であるかのように装われていたから、
誰もがもうすでに日本文化を十分に享受しているとは感じていなかったと思う。
このように日本文化は、距離的には最も近いところに存在しているが、最も接するのが難しいものであった。
日本に対する
「わけのわからない国」だという批評や、
日本の有名な建前と本音に対する話などは、日本に直接行ってみたことがない人々の口から口へ伝えられ、
より否定的に解釈されて私の耳に入れられ、偏見という壁を高く積んだ。
私の頭の中では相変らず日本は憧れの対象である同時に、
危険な部分も持っているミステリな国として位置づけられていた。
日本はマルコ・ポーロが考えたように私たち同世代の若者にとっても
「黄金の島」であった。
「黄金」は強烈な輝きを持ち、人々を魅了するが、その激しい煌きゆえに恐れられもする。
なんとかして手に入れたい。
私は、ますますこの不思議な「黄金の島」を、実際にこの目で見てみたいという気持ちになった。
そして日本を理解することは同時に韓国を理解することだと確信するようになった。
「黄金の島」の魅力に惹かれた私は、2007年の春ついに日本の別府という地域の大学に入学するようになった。
それからすでに2年が経つ。
私がこの2年間、実際に、見聞きした
「黄金の島」の正体はいったいどのようなものであったのだろうか。
私が日本にきてから3日目、留学生活に必要なものを揃えるために、初めて大型スーパーに行った時であった。
日本に来るのは初めての私にも、スーパーの形態や物を買う方式は韓国のそれとあまり違わなかったので、日本語はほとんどできなかったが、あまり心配せずに買い物にでかけた。
韓国からきた私にとってカルチャーショックなんてないだろうと考えていた。
しかし、支払いをしようとレジに並んだときに気づいたことがあった。
学校の春休み期間中だったせいか、大学生と見える若い女性がレジに立ち計算を担当していた。
彼女の胸に付けているバッジの「新人研修中」という文字から、彼女が仕事を始めたばかりだということが分かった。
彼女は、私がのせたカゴから商品を取り出して計算しながら、ずっとぶつぶつ何かを言っていた。
それは数字のようだった。
まもなく、それがお客さんの便宜のために、商品一つ一つの値段を言っているのだということに気づいてとても驚いた。
私が購入した商品は50個近くあったのに、彼女は休まないですべての商品の値段を読み上げ、計算を終えたからだ。
さらに
「ありがとうございます」と小さく微笑んでカゴを渡された。
私はそのカゴを受け取りながら有難いという思いより、なぜこのように小さいことにも、こんなにも熱心であろうかと思った。
韓国ではもちろん、他の国でもこのように熱心なレジは見たことがなかったからだ。
かつて旅行に行ったイタリアの大型スーパーのレジでは、椅子に座ったままで、計算中にも時々自分にかかってきた電話を受けるのに忙しかった。
ひょっとするとこの女性のアルバイト生は「新人」だから、このように熱心に仕事をしているのだろうかと疑った。
しかし、その推測も日本で暮らすうちに、外れていることがわかった。
美容院でも劇場でも、どんな店に行っても、店員らの勤務態度や接客態度は他の国と比較して、いつも驚くほど立派だったからだ。
これは単に顧客に最上の商品を提供しなければならない店員としての義務のためなのだろうか。
私は違うと思う。
その答えを学校のサークル活動で見つけることができた。
(続く)