こんにちは!
近藤  志織ですニコニコ


わたしは、
2021年8月で公務員を退職しました。

2021年9月に入り、開業届を提出し、
個人事業主として
活動していくことにしました。



今までの自分のことを
整理したいのもあって、
プロフィールを再度、
書いてみよう!と思いましたリボン





名前は、
近藤 志織(こんどう しおり)
と言います。

福岡に住んでいます。
1990年生まれ。

夫と、子どもが2人います。
夫は単身赴任中。

公務員としては、
2011年4月に入庁したので、
10年ほど勤めました。






子どもの頃は楽しく過ごしていました。


けど、中学校ぐらいから
なんか違和感を感じていました。


学校という社会に合わせないといけない。


ちゃんと朝起きないといけない
勉強して行きたい高校に行かないといけない
決まりを守らないといけない
教室という決められた箱の中で、
決められたことをしないといけない



真面目だったわたしは、
頑張ってました。



高専というところに入ったのですが、
なんか違和感が消えなくて、
お母さんともめっちゃケンカばかり。
高専に入るために、
勉強もめっちゃ頑張って入学したのに、
なんか幸せじゃなくてツラかった日々。



なんか外に出るのがつらくて、
家に引きこもってました。

当時の友達に、
「どうせ、しおりは
引きこもっとったっちゃろー」
とつっこまれるぐらい
そうやって冗談で言ってもらえるのは
ありがたかったにひひ



もう無理だ、、


と高専を3年生の4月に中退しました。
(高校3年生と同じ時期です。
要は高校中退ですねショック!


お母さんからも理解されず、
ケンカがたえなかったですが、
父と母との話し合いとか
親身になってくれる先生が現れたりとか
いろいろ流れができて、
中退することができました。

当時、関わってくれた先生たちには
ほんとに感謝しています。



それから通信制高校に行き、
短大に行き、
なんか公務員に惹かれて、
また勉強がんばって、
市役所に入りました!



公務員という事務に憧れたのもあったり、
無意識かもしれないけど、
親を困らせたくないという気持ちも
あったのかもしれません。



市役所に入庁して、
同期も知り合いもいっぱいできて
楽しい日々も送れてはいたけど、
入庁して2年目で
なんか違和感。



これ、わたしのやりたいことなのかな、、?

なんかツライ、、


漠然と感じてましたが、
入庁2年目。

仕事に慣れてないから
こういうこと思うのかもしれない

わたしが仕事できないから
こういうこと思ってしまうのかもしれない


と思ってました。




自分ってダメだな、、、


自分ってなんでこんなにダメなんだろう、、



毎日、自分を無意識に責めてました。


人の態度や、
周りの空気感の冷たさみたいなものを
自分のせいにもしてたし、
他人のせいにもしてました。



自己啓発本やコミュニケーションの本など、
読み漁るも、
なんか苦しさはぬぐえず、、



本を読みすぎて、
頭の中が知識でパンパンになって、
あるとき、本当にゲロを吐いたんです。

知識でパンパンになりすぎて、
具合が悪くなって。


そのとき、

本に答えはない、、

と思ったんです。




誰かの知識じゃ目の前のことは解決しない
自分の経験からしか何も産まれない
自分の現実からしか答えは出てこない
自分の中にしか答えはない


と思って、
そこから「自分」を見つめる旅が始まりました。



わたしは、

普通、常識、世間体

これにすごく引っかかってたから
生きづらかったと気づきました。



漠然と

仕事やめたいと思ってました。


幸せになるために仕事してるのに、
なんか日々は忙しくて
体はヘトヘト、
心はボロボロ。

お金はもらえてるのに、
幸せじゃない。

子どもたちは可愛いのに、
朝はバタバタ仕事に行くために
子どもたちを急かして、
帰りはご飯作りをして洗濯物して
あれしてこれして、
って先のこといっつも考えて、、
常に時間に追われてイライラしたり
なんか毎日しんどくて。

わたし、なんのために生きてるんだろう?

ってずっと思ってました。



仕事が中心だから、
食べるものはスカスカ、
掃除ができず部屋は汚いとか、
必要最低限のこと以外は
ほったらかしになって、
それが仕方なのないことではあったけど、
自分の中で嫌なことでした。


お金はあるけど、生活は満たされない


という矛盾を常に抱えてました。



けど、
生活のために
子どものために
未来のために
それでも仕事頑張ろうって。



体は正直だから、
よく風邪をひいたり、
子宮に来たり。
子どもできにくいとか
言われたこともありました。
不安障害とか診断されたこともありました。




もう辞めよう!
と何度も決意するけど、



けど、
普通、60歳の定年まで働くよね?

ってこの問いがずっとつきまとい。


で、

やめたらお金に困るよね?


ってこれがもう、
二大ネックガーン



仕事辞めるってことを
自分に許可できるまでに、

ダンナさんとの関係

お母さんとの関係

が浮き彫りになって悩みました。



ダンナさんには
仕事辞めることを反対される


お母さんとは
なんかケンカがたえない



そこで出会ったのが、

子宮メソッドと子宮推命でしたニコニコラブラブ


子宮メソッドでは、
自分で自分を幸せにできる人が、
他人からも幸せにされる
ということを教えてくれました。

これが大きく自分を変えてくれました。



「自分で自分を幸せにする」
これってすごーく難しいけど、
すごーくわたしには効きました。



ダンナさんに幸せにしてもらおう、
ダンナさんに仕事辞めることに対して
協力してもらおう
許可してもらおう

ってやってました。

そうじゃなく、
自分で決めていくということを
子宮メソッドは教えてくれました。



また子宮推命に関しては、
母の命式を見たら、
母も母で大変そうな命式。
エネルギー強いし、
母も親との縁が薄いって出てました。

母も母自身の扱い方がわからなかったのかも

と思ったのと、



自分の命式を見て、
わたしは親との関係がうまく行きにくい
わたしもわたしの扱い方が難しい命式

というのがわかって、

一気に、癒されたんです!


そりゃあケンカばっかなのも仕方ないよね

と思えたんですよね。





そうやって
だんだん自分が癒えていって、
自分で自分を幸せにする感覚を
掴んでいった先で、
公務員を辞めるという大きな決断を
することができました。



で、ですね、

母ともダンナさんとも
関係が良好になったんです!!



このプロフィールも、
今、実家で書いてます。にひひ
素直にしんどいときは
頼れるようになりました。

そして、
母に素直に「ありがとう」
と言えるようになりました。



ダンナさんからも、
「頑張ってね!」と
開業お祝いをしてもらいました。

チラッと言ってくれたのが、
しおりが楽しそうなのが1番だいじ」と。

今では応援してくれる存在ですニコニコ





この感動を世の中に伝えたい
と思って、
開業という形を選びました。



自分で自分を幸せにできるということ
自分の中に答えはあるということ


そういうことを伝えていける人になりたいですピンク薔薇赤薔薇



どうぞよろしくお願いしますニコニコラブラブ