わたしのお母さん。
ずっとお金についてはケチで、わたしが幼少期の頃から出し渋る。
「お手伝いするけん、お小遣いの5円や10円、ちょうだい!」って、
小学生の時に言ってみたら、もう母の逆鱗に触れて。笑
お金=悪のイメージが母にはあって、母はお金嫌いなんだろうなーって、
わたしは小さいながらに思った。
その先入観が、わたしは母に対してあるから。
ある出来事があって、
母がお金を出してくれるって話だった。
わたしは、「出してくれるんだ」って認識で、話を進めていた。
そしたら、結局、母から「何、結局、ママのことお金としか思ってないやん!」って、怒られた。
今回のは、ちょっとわたし母がおかしいって思ってさ。
「親の金をアテにした」わたしは悪い。それは、確かに。
けど、「出す前提で話を進めていい、って許可を出したよね?」って思って。
それをわたしを「完全、悪者」で、父にも妹にも、わたしの悪口を言っていて。
はあ?って思ってさ。
けどね、ダンナさんに一連の話の流れを話したら、
「お母さんはケチとか出さんとかやなくて、
出すつもりやったけど、
しおりの思いやりがほしかったとよ。
逆に言ったら、少し思いやれば、出すんよ。」って言われてね。
はっ!!思いやり。
「お母さん、ありがとう。わたしも出すけん。」の一言が言えれば、
それでよかったんや〜、、、
愛情(思いやり)もお金も出し渋っとったの、わたしやん。
って思った。
そこにお母さんがどう思っとるかは意識に入れないとして、
わたしがケチだった、、、笑
ノートに書き出したよ。
「出し渋っとるのは自分だった。」
ママは金出さん。ケチ。最初は出す気があった。
夫の助言「しおりの少しの思いやり(「出すよ」のひと言)があれば、出すんよ。」
「自分の思いやり」を出したくない。←ケチ!!ケチなの自分やった!!(笑)
さらにの気づき。
やりたいまま(want)にやるのが、タマシイを生きるなのかな。
・出すのがキツいと思っとる。(出すのは、お金、思いやり、本音、声、出すの行為なんでも。)
・出すと新しくなる。
→知りたくない、こわい。→新しくなる楽しみ!!
ああ、、、知りたくないし、こわいから出したくないのネ。
出すっていうのは、出し渋らずに出す。
新しくなることだ。
ブログに書くっていうことも、
わたしの中の「出す」のひとつなんだ。
「出し渋らずにブログに書く」
なかなか時間取れなかったりして、
思うように書けなかったりもするけど。
取り止めのないブログだけど、
書いたので、とりあえずupしとく。