ぼくの知り合いでは起業してる人でもほとんど神棚を持っていないし、会社や自宅に神棚を祀っている人もいるにはいますが、ごく少数派ですね。
他には出先で見かけた例ですと、酒蔵、酒造、会社、お店で丁寧に神棚をお祀りしているところもあります。
なぜか、そういう店は繁盛しています。
繁盛しているから神棚を設置したのか?
神棚を設置しているから繁盛しているのか?
ニワトリが先か、卵が先かの話になってしまうのでこれぐらいに。
あとですね、別件で言うとぼくの自宅の窓から見えるあずきバーで有名な井村屋さんなんかは、松阪にある御厨神社(みくりやじんじゃ)からお稲荷さん(高春稲荷から)を勧請して、その御分霊(幸春稲荷として)を祀っています。
工場の正式な神社、お社としてお祀りしているので、こちらは神棚とは違って、工場(会社)を守ってくれる鎮守神としての意味合いが強いですかね。なので、神社ですね。
ちなみに御厨神社の5月の例祭では同社からも出席されて斉行されるのだとか。
おっと、話がそれたけど、神棚の起源をざっと簡単に説明すると…昔は「一生に一度は伊勢参り」と言われてたぐらいで、当時は交通の便も悪いどころか、徒歩で移動していたので、今の時代みたく、行きたい時に「伊勢神宮に行くか!」とはならんのです。
一生のうちに一度行けるかどうか。です。
それでも行けない人のために拝む対象が必要となり、伊勢神宮の御札が御師(おんし)によって頒布されました。
※御師とは伊勢神宮の下級神職であり、今で言う旅行代理店みたいなことをしてた人たち
「これを自宅の神棚にお祀りして、参拝できない代わりに毎日お祈りください」
みたいな感じで始まったのが起源だったはず。
それで神宮大麻をお祀りするにはお社がいるよね、それなら神棚が必要ね!みたいな感じで、当時はなんと、国民の9割が神棚を自宅に持ち、神宮大麻をお祀りしていたのだとか。
たしか国から義務付けられてたんだよね。
良い時代ですね。
だけど、昭和20年(1945年)12月15日神道指令というものがGHQの手によって出され、国家神道は消滅したんです。
(国教分離指令)
大雑把にいうと、公の機関(学校、役場)みたいなところに神棚を置いたらダメ、撤去しなさい。
そういう場所でお祈りをしたり、神道に関することを教えることもダメにした。
だから日本人は神道のことも知らないし、神様の名前もほぼ知らない。神道の話をすると未だに「え、宗教だよね?」とか田吾作みたいなことを言う人が出てくる始末。
神道、武道、剣道、柔道、合気道、書道、茶道、ぜーんぶ一緒。
神道ってのは日本人が元々心の拠りどころにしていた生活の様式美であり、強い精神性が育まれてきたのも「道」というものが、日本人一人一人の心にキチンと根差してたからなんだよね。
それが日本人の持つ、元来の強さ。
一本筋が通っており、けれどそれは決して硬いものではなく、柔軟性を持ったしなやかな強さだったはず。
なんでも受け入れられる度量と余裕があったという意味で。
だから八百万の神って言われてるんですよ。
それが今となっては西洋かぶれですっかり文明に飼い慣らされ、弱体化させられてしまった。
ある意味、GHQの政策は大成功してるんだよな、そう考えると。
つまり、国家と神道(神社)を分離させ、突然国からの支援がなくなった神社は維持するのに大変になり、今では潰れかけたところもあるし、維持できない小さな村社なんかは大きいところに合祀されてますよね。
まとめて管理するしかないからね。
これまでは国家の管理下であった国の公法人から突然、民間の一私法人になるんだからそりゃ大変です。
今では各都道府県に神社庁という宗教法人があり、その傘下に約8万社の神社が収まっていますが、この神社庁は別に支援で金を配ってる機関もなんでもないので。
もちろん、事務的なことや神社の情報をまとめたり、なんかゴソゴソやっていますが、そこにいるスーツを着ている連中は決して、竹ぼうきを持って神社を掃き掃除したりするわけではないので。落ち葉の一つでも拾ったり、神社の拝殿を雑巾掛けでもしたら褒めもしますけどね。
あ、悪口じゃないですよ(笑)
神社庁に属してない、有名な神社も全国にたくさんあります。どちらが良いとか、悪いとかはございません。
神棚の直接的な話、ちょっと不思議体験やスピリチュアルな話は次回にガッツリします。
長くなり過ぎたので、まずは神棚の起源を知ってもらえたらなと。
つづく