小学3年位になると少しずつ記憶も良くなって、思い出すのが楽になる。


離婚をしたって言葉もこの時
誰に聞いたか分からないけど知っていた。



丁度4年生になる前。
担任は、少し年をとったフカミ先生
先生は皆の人気者。
休み時間は先生の周りに沢山の生徒。私も輪に交ざりたくて駆け寄ると先生が


「おっ、お団子が来た!」




きっかけはこの一言で十分だった。

次の日からいじめと闘い続ける事になるだなんて
思っても居なかった。
生まれてから小学校に入学するまで、両親に育てられてきた私。

入学を区切りにして
両親は片親に名前を変えた。


離婚
あの頃の私はまだあまりにも
幼くて。分からなかった。



たまに両親がする喧嘩は
いつも悲しげに見ていた。

理由を知るのはもっと後。


私は下に一人弟がいる。
二人とも父に引き取られた。

でも、働いていて幼い二人を育てるのは難しいと言うことで
祖父母の家にお世話になる事に。
今日と言う日があと一時間を切ったわけだけど。
今日も強い地震があったのに、私は家でそのニュースを横になりながら見てた。
自分に出来ることがってテレビで言ってる。

通院してる私には、金銭的な募金も3月に千円出来ただけだし。



気持ちが大事っていうけれど、気持ちだけでは餓えや悲しみは拭えないと思う。


地震当時、職場で休憩中のテレビで知った私は怖くなった。
もし、自分の職場でって考えたら何も分からないまま死んでいたかも知れないから。
その時休憩が一緒だった私より年上の社員が言いました。







「あんな波に乗ったら最高だろうなぁ」

今でも覚えてるくらい、最低な発言。何万人もの命を無に還した災害に対して。
でも、そんな発言を「はぁ…」で終わらせてしまった私の方が最低だ。



あの日以来、意識が少し変われただけでも救われたかな。







悲しみを与えるのが人なら
きっと
笑顔を与えられるのも
人だから