ちょうど「このままいったら、いつか鬱になるよ。パニック起きかけてるよ」と感じてた時で......。(u_u*)
ある意味、愛されすぎのあるあるネタ。
愛ある言葉が故に無下にできずに翻弄され、気付いたら『自我意識』が薄れてしまって見失いそうになってる。そんな状態。
「あなたのためを思って」「心配してるんだよ」
中には、大きすぎる愛が暴走して、自らの願望をそれと気づかずにすり替えて押し付けてしまってるケースもあるけれども(笑)、大抵の場合、その言葉と共に紡がれるアドバイスは、『彼らがイメージする私』にふさわしいと思うモノゴトが殆どで。
それでもどんぴしゃなアドバイスがくることも勿論あるだろうけど、やっぱりどこか微妙に的外れが否めないことの方が多い。
微妙に的外れになっちゃうのは何故か?
答えは簡単で、本当の意味で『私』という人を知り得てないから。
それは決して悪い意味ではなくて、昔の私のイメージから抜け出せていないとか、知り合ってまだ間もないだとか、単に、『今の私』を把握しきれてないだけなんだと思うのだけれども。
的確じゃないと思うならスルーすればいいだけのことなんだけど、それができずに1つ1つがっぷり四つに組んでしまうタイプの人は、気付いたら、熱波で自分の本心が溶けて消えかかってた! なんてことが結構あるんじゃないかしら?
特に厄介なのは、自分も大切に思ってるヒトタチ。
自然にお互いの希望が重なって生きていければ何の問題もないのだけれども、そうもいかないことって多々あって、その対象が思考や感情を持つヒトという存在だと、自分以外の思惑などが+αになる分、自分の主軸をキープするのは、かなりの勇気とパワーが必要となってしまう。
でもそれって、自分に自信さえあれば難なく論破できるはずだから、結局、自業自得に過ぎないのだろうな......。
『私』という人を良きも悪しきも知り尽くしてるのは『私』でしかなくて。
だからこそ、何処で何をしてどう生きていくのが、今の自分にとって一番大切なことが何で、最優先すべきことは何なのか、全て、『私』にしか分からない。
それが例え、他者から見たらお馬鹿な選択かもしれないことだったり、失敗する可能性が大きいことだったりしても、『私』がそれを良しと本気で思うなら、誰が何と言おうとも、Go for it!なのだろう。
迷惑かけちゃうかもしれない......なんて考えてたら何もできない。
他人に迷惑かけずにできることなんて、極々僅かなんだってことくらい、もういい加減気づいているのだし。
そのくらいブレない強さを持てれば、鬱やパニックなんて寄ってこないだろうなとも思う。
同じ我慢強くなるなら、自分の想いや望みのために我慢強くなってあげなくちゃね。