AC -過去の僕と未来の君へ-

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アダルトチルドレン 回復への道のり記録

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各地で自助グループによるミーティングが行われているというので、
休みの日に合わせて行ってみた。

1回目。
教会が会場になっているグループに行ってみた。
ところが案内板も何もない。
人もいない。
時間になっても誰も現れない。
結局参加することなく帰宅。

2回目。
区民館が会場になっているグループに行ってみた。
そこにはちゃんと案内板があった。
しかし会場となる部屋に行っても、
扉は硬く閉ざされ、人の気配もない。
結局参加することなく帰宅。

一見さんには敷居が高いのだろうか。
それとも私がヘタレなだけだろうか。
ミーティングの扉を開けられない。

今度の休みも懲りずに他の会場に行くんだろう。
すんなり入れる会場だといいな。
インナーチャイルドとは、「内なる子供」と訳されるそうです。
「子ども時代の記憶や心象、感情」のことだそうです。
このインナーチャイルドを癒す事で、回復の1歩になるそうですが、
私は頑張ってもインナーチャイルドに会う事が出来ません。

ただある時一瞬だけ、3歳か4歳くらいの女の子が浮かぶんです。
泣いてます。
赤い服を着て、ほっぺも真っ赤な女の子がいつも泣いてるんです。
かなりの号泣です。鼻を垂らして嗚咽しながら。
でも私は咄嗟的に「嫌だ」と思って掻き消してしまいます。
それがインナーチャイルドだったのかもしれません。
現れるのは普通に歩いている時や、仕事中だったりします。
その為、すぐに掻き消して本当に泣きそうになるのを堪えてから、
次の行動に移っていたのですが、
今度部屋で1人でいる時に現れたら、慰めてあげようと思います。
そう思うと、何だか待ち遠しいです。
生い立ちを書こうと思ったが、
細かい事を書くと、親族や知人にばれるのが怖い。
なので大雑把な自己紹介にする事にしよう。

父・母・7歳上の兄・私の家族だった。
父はアルコール依存。飲まずにはいられない。
それでいて酒乱。飲む度に暴れる。

母は一度は精神病に悩まされるが、回復後離婚。
女手で子供2人を養う為に、昼夜問わず働く。
その分躾には厳しい。
「片親だから」と言われたくないからと言うが干渉が激しい。
『こうあるべき』というのを強く持っている。

7歳の時、両親の離婚を機に転校した。
その転校先でいじめに遭う。

兄は反抗期になると、家庭内暴力が始まる。
直接殴られた事は1度か2度しかないが、
罵声を飛ばし物をよく投げる。そして壁を殴る。
ハサミを投げつけられた事もある。
家では兄が暴れるので、学校でも家でも居場所が無い。

10歳の時、母と兄の口論に巻き込まれ熱湯で大火傷。
(物を殴る癖があった兄が、ストーブ上の薬缶を殴り私に落ちてきた)
生死を彷徨う。
特に守りたかったわけでもないが、「兄にやられた」とは無意識に言わなかった。

11歳の時、兄が就職で上京。
そのタイミングで、母が男性と暮らす為に別宅を設ける。
私は祖父母の家で暮らす。
あんなに暴れていた兄でも、いなくなると寂しい。
母に「間にもう1人兄弟がいれば良かったね」と言ったところ、
「冗談じゃない。お前だって本当は要らない子だったのに」と言われる。
「お前がいなきゃ、もう少し早く離婚出来た」とも。

14歳の時、母がギャンブルで借金。男と夜逃げ。
私は祖父母の家に置いたまま。
事実上、捨てられた。
知らされたのも、2週間くらい経った後だった。

15歳。
祖母に「あと3年も面倒見れない」と言われ、就職を決める。
中卒で上京。


子供の頃の私は、とにかく母に認められたかった。
抱きしめて欲しかった。
笑って欲しかった。
「生んで良かった」って言って欲しかった
だから常にイイコでいようとした。
学校でいじめられてる事も言わなかった。
でも母の愛は得られなかった。
「要らない子」だったから。
そして捨てられた。


これは今まで誰にも言わずに来たが、
AC回復の為に、向き合わなければならないのかもしれない。
4歳の時、母の知人宅に預けられていたが、
その家でイタズラをされた。
50代の、その家の「おじいちゃん」だったと思う。
性的被害はこの時の1回だが、今でも鮮明に覚えてる。
この頃、兄が保育園のお迎え役だったが、
その帰り道で歌ってた歌が「大きな古時計」
今でもこの歌を聴くと、自然と涙が出る。
意識した事はないが、たぶんこれも『傷』なのだろう。