なので、去年亡くなったおじいちゃんの写真に語りかけたり(ほぼ、大魔王の愚痴)


近所のおばあちゃんのめんどくさい長話


にもつきあったりしました。


本人も


今日は敬老の日だぞ。と言わんばかりに


朝からうちに入り浸って、テレビを観賞したりしております。





年をとると自分はどうなるのだろうと考えました。


同年代の友人と話していても


「親が年々切れやすく頑固で、ひがみっぽくなっていく」


と口をそろえて語ります。


これは、何故なのだろうか?と考えました。







色々な原因はあるにしろ


瞬時に切り返す能力が年齢と共に衰えていくのも関係あるのではないか?


と考えたのです。(根拠なし)





言いたい事があるのに言葉はなかなか出てこないし、


それを自分が育ててやった子どもにバカにされたりする。


笑っている方に悪意はなくても


笑われているほうにすれば、かなりのストレスかもしれない。


そして、年をとれば短気にもなってくるのに逆に言葉が出てこない。




物事を整理する能力が衰えてくる。

(電化製品の取り扱いがいい例ですね)



理屈では勝てないので怒鳴るしかない。



思うとおりにいかない自分がもどかしくて


子どもからの


なんでこんな事ができないの?と無言のプレッシャーに対して



切れやすくなるのではないだろうか?




以前は当たり前に出来ていた事ができない。



以前は当たり前にでてきた言葉が出てこない。

(これは最近私にも起きる現象です)







(という事は最近の切れやすい若者は


脳みそが老化しているいう事か??)





これらは、自然現象なのだから、私たちはそういう事を知った上で


大きな気持ちで包むべきなのか?





お年寄りには親切にする。


がモットーですが、正直私の中には


ランク付けがあります。




見かけは同じように親切にしても、気持ちの込め方が


素敵な老人とそうでない老人では全然違います。


自分の中の感覚で


素敵なお年寄りには真意で、そうでない人には偽善でやっています。


自分でも(冷たいやつだな)と思いますが、性格なのでしょうがない。


愛されたければ愛されるように行動すべき。と思ってしまうんですよねー。




お年寄りにまでこんな事要求するのは冷たいかな?


自分が年取ったら、そんな余裕はなくなるのかな?


区別せず、親切にするのが人として当たり前の事なのかな?


えぇ、どうせあたしゃ小さい人間だよ(30代にして、すでにひがみっぽい)




いつか必ずやってくる老後。


愛される老人になりたい。








もしくは、いじわるばあさんのように、


「あたしゃいじわるだよ!」と割りきって意地悪をしたい。

(こっちのが楽しそうだ♪)






若者がお年寄りに手を差し伸べるのは当たり前の事ですが



「やってもらって当たり前。」



と思う老人にだけはならないようにしようと誓うmegなのでした。


(年取ったらこの誓いも忘れるに違いない。)






=追記=


以前お年寄り体験みたいなもので


砂袋をしょい、ゴーグルで視界を狭めて、お年寄りと同じようなハンデで待ちを歩く人たちを見かけました。


その中に、どうみても


70~80才の男性が混ざっていた。


・・・あなたは砂袋を背負う必要があったのでしょうか。



(敬老の日なのに好き勝手にいいすぎた。どっかの団体からクレームきそうだな・・・)