いつ頃からだろうか、脳科学に興味を持ったのは。
恐らく、今のような脳科学ブームよりは、少し前だったような
気がする。
元々は、心理学に興味があり、大学も通ったりしたけれど、
自分が知りたいのは、吸収したいのは、所謂学問としての
“心理”“心”ではないような気がしてきていた。
一般的な学問に基づく、統計的なことではなく、もっと個別に
落とし込んだ、それぞれの違いが何故生まれるのだろうかと
いうような、そんな世界に興味がシフトしていった気がする。
というのは、恐らく、物心ついたころから、自分は周りとは
何か違うという感覚を持っていたからだと思う。
一般的に、何歳で女のことであれば、楽しいと思うだろう事、
好みからは、ことごとく離れた好みを持っていたし、小学生
ぐらいから、世界を、世間を、周りを、一歩引いて俯瞰して
いたような気がする。
集団生活には馴染めず、自分の中で、目的がないと、
触覚が動かないと、頑として行動には移さなかった。
親から見ると、育てにくく、掴み所のない子供だっただろうと
容易に想像がつく。
今もその傾向は変わらないけれど、ここ3年弱の修行の中、
バランスを取る術は多少なりとも身についたようだ(多分)
先日読み終わった茂木健一郎さんの“「脳」整理法”
“偶有性”をテーマに“世界知”と“生活知”に対して、どのように
折り合いをつけていくかがメインテーマだったように、読み終わった
今、感じている。
少し前に女性ばかりの現在の職場で、ちょっとした波乱が起こった。
ここ1年弱で、入社はしても数ヶ月で退職していく人が続いたことに
より、部内は妙な空気が流れていた。
表立って、何かを誰かを否定するということはなかったけれど、
辞めていく人たちの、その原因を、フォローの薄さだとか、
整っていない体制のせいにしていた。
けれど、それは私は違うと思う。
20歳そこそこの社会人歴の浅い人たちではない。
それなりに、社会人経験を積んで、己の意思で入社を決め、
仕事を選んできている。
労働力を提供することにより、お給料を貰っている。
働く理由は、人それぞれ。
お金のためだけに仕事を選ぶことを悪いとは思っていないし、
逆にやりたいことのためにお金度外視も別にいいと思っている。
その価値観は、人それぞれ。
せっかく、縁があって同じ職場になり、日々楽しく仕事が出来ることは
もちろんベストだし、長くいればいいのかもしれない。けれど、
“長く続けてもらうこと”がベストなのだろうか。
そこには大いなる違和感を感じずにはいられなかった。
周りが辞めていく人たちや新しく入った人たちに対して、気を使う
あの空気感は、湿気の多い亜熱帯地帯に身を置いているようで、
息苦しささえ感じた。
そんな中で、“こういう感情を持つ私は、自分のことしか考えて
いないのだろうか”“優しくないのだろうか”と悶々としていたけれど、
深く深く、考え抜いたお陰か、やっと出口が見えた。
これ!という答えは、どんな時だって、生きている以上、
歩き続けている以上、きっと見つからない。“今”というものが
ほんの一瞬であるように、この文章を最初に書いた瞬間が
既に過去のように、変わらないものはない。未来は一瞬にして
現在になり、現在は一瞬にして過去になる。
今回は、身近な人に多少嫌な思いをさせてしまったところは
あった。多少反省すべき点はあるものの、自分の中での
フェーズは一段階上がったように思う。
まだまだ未熟ではあるけれど、やっぱり自分の軸は
保って行きたい。そうじゃなきゃ、逆に自分が生きている
意味がないのだ。
“脳”に関しては、まだまだいろんな書物や経験を通して
新たな発見があると思う。
決して、奢らず、人に感謝しつつ、己の道を歩き続ける
ことが今の目標です。