朝から、翌日のゴミの日に合わせ、ゴミ袋を出しに行き、買い物に行こうと家を出た。

 

ゴミ捨て場の前に、母親がいた。

 

わ、嫌やな・・・でも流石にゴミ袋持ったまま引き返すわけにもいけへんな・・・

とりあえず声かけるか・・・と少し首を傾げた状態で「バーバ」という準備をした。

 

一瞬目があった。

 

「あら?〇〇」と言われるだろうと心の準備をした。

 

でも・・・

 

まさかの・・

 

気づいてない。

 

 

あらあら、また自分の娘に気づかないのね・・・と

 

私も素通りした。

 

通り過ぎる時に何か言われるかも・・・と思った。

 

「なんで知らん顔して行こうとするの?」と責められるかも知れない。

 

でも、もうどうでもいい。

 

話したくなかったし。

 

素通りする瞬間にも、全く気づいていなかった。

 

ゴミを出し、駐輪場へ向かう間、帰り道を進む母親をずっと見ていた。

 

振り返ることもなく、ただただ家路を急ぐ母親。

 

 

なんだか、少し吹っ切れた。

 

別の要因があり、気づかないのかも知れないと頭をよぎる。

 

でも、もう、考えたくない。

 

母親に気づいたのに素通りする自分ももう自分で責めたりしない。

 

これが母親と私の築いてきた関係の結果なのだ。

 

母親もきっと私のことを考えて悩むのも嫌だろう・・・

頭の中から消えているのなら、また声をかけることで悩みが増えたり、嫌な気持ちになるよりは、素通りした方が穏やかに1日を過ごせるだろう。

 

そう思いながら、いつも通りの買い物をした。

 

「真剣に節約してみようかな」と買い物に行ったのに、ドラッグストア、スーパーで約8000円近く使っていた。

 

母親を無視したことよりも、自分の一貫性のなさの方が落ち込む。

 

帰り道、さっきの出来事を思い出し、

あ〜、私も子供たちに同じように対応されたりするのかなと一瞬考えた。

 

でも、私は、気づいたとしても、別にいいと思う。

 

知ってたよな!今目があったよな?それでも無視したよな?

 

と思っても、そうしたかったんだろうと受け止める。

 

実際、息子や娘が思春期に同じ行動をした時も、そうしたかったから・・・と受け止めた。

 

思春期と52歳の人生をいろいろ経験してきたはずの淑女(?)熟女(?)😆を同じように見るのは違うだろうが、

 

私は悔やむ必要はない。

 

一通りの誠意は見せてきた。・・・つもりだ。

 

多分まだ足りないのだろうが、こちら側の誠意をどこまで感じてくれているのか、私からしたら、変わろうとしてくれなかった行為に対して、どう感じてるのか?

 

言っても伝わらない相手は存在する。

 

最近はそんな相手をたくさん見ている。

 

自分は間違っていない、そういう態度の人。

 

何がいけないのか、気づかない人。

 

もしかしたら・・・と考えることも出来ない人。

 

やってみよう、変わってみようとせず、変わることを怖がって逃げる人。

 

自分もその中の一人だ。

 

今、第二の人生を学びながら歩んでいる。

 

第二章の幕が開けたばかりだ。

 

人生80年と考えた場合、私にもまだ約30年も長い道のりがある。

 

ゾッとする。

 

ここからの30年・・・

 

若い頃の時空とは違うのは確かだ。

 

中途半端な今の状況もなんとかしなければいけない。

 

どうすればいいのか?まだ答えも出せていない。

 

魂は別のところにあって、体は借り物?と聞くが、

 

私の魂が何を望んでいるのか?どうするのが正解なのか?スピリチュアル的にもわからない。

 

今はただ・・・

 

その日その日をなんとなく過ごす・・・そんな状況なのだ。

 

人生に正解なんてないから、それぞれの人生があって、絶望も喜びも、自堕落も、喪失感も無気力も、高揚感などいろんなことを感じることが、

 

生きていることなのだろうが、

 

生きるって・・・トータル的に見るとしんどさの方が勝つよね。

 

今日は、そんなふうに考える1日なのだ。

 

明日はまた違う1日があるのだろう。

 

平穏無事が何より・・・と思いつつ、また別の感情が湧き出てきたり。

 

なんか、ようわからんわ!!

 

みなさんの今日はどんな1日でしょうか?

いろんな舞台があるのでしょうね。

 

では、また!