
こんにちは!飯塚です。
2月5日、倉本聰「ノクターン夜想曲」を観てきました。
舞台は、東日本大震災から数年後の福島。
津波で行方不明になった子どもたちを探し続けている男と、
数年が過ぎても、何も変わらないアトリエで
ピエロの彫刻を掘り続けている女。
ホームページはこちら
ネタバレして申し訳ないのですが、印象に残ったところを。
(しかも、うろ覚えなので、ご覧になった方、私なりの感想と思ってください)
2億年後、
この地球で起こった大きな地震のことを、原発事故のことを、
知る人はもう誰もいない。
海の底には彫刻のピエロたちが、何も言わず沈んでいる。
このピエロは、震災で亡くなった人たちの骨を砕いて作られたものだった。
2億年後の海の底で、ピエロたちは何を想うのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いつかは、この日の記憶を持った人たちが誰もいなくなる。
書物や、映像として残されていくものも、いずれは無くなっていく。
忘れ去られるというのは、圧倒的なものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
地球の年齢は46億歳。(というのを茨城県自然博物館で見た)
ググったら地球の寿命はあと、17億5000万年くらい。
人間の一生は長くて100年。
ちっぽけな私たち。
それでも、一人ひとりの一日一日が、この地球を作ってきたんだよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
自然の大きな力と人間。
倉本聰『北の国から』で、畑の野菜が台風で全てダメになるシーンがある。
農民は、自然には勝てない。それを受け入れ、そこにまた、人参を植える。
諦めたわけではなくて、自分もまた自然の一部なのだと、受け入れるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
こうやって書くと、(実際には書きながら自分でも考えを整理していると)
「いずれは忘れちゃうし、自然には勝てないんだ」って言ってるように思うかもしれないけど
そうじゃなくて。
東日本大震災で、一人ひとりが経験したこと、感じたこと、見たことを
もっと大きな視点で見たら、これからの自分が分かってくるのかなと。
自分たちも地球の一部であり、自然の一部であること。
そして、人は誰もが、大きく大切な存在だということ。
だいぶ散文すぎて、自分で読んでいてもわかりにくいです(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
そして、倉本聰さんが言いたかったことは、なんだったのか
考えていくことが、未来に繋がるのかなと思いました。
公演はもう終わりですが、また再演されることもあると思います。
その時は、ぜひ、観てみてください。
日経ビジネスに記事があったので、引用↓
原発に巻き込まれた人の色々な悲劇を書きたかった。
「足るを知る」を伝え続ける
戦争を通して感じたのは、悲劇はそれを主導した人間に起こるのではないということです。そこに巻き込まれて色々な悲劇が起こるんですね。
2015年1月から公演する舞台「ノクターン」で描きたいのもそれなんです。原発を作った人たちのドラマじゃなくて、原発に巻き込まれた人間たちの色々な悲劇を描きたかった。

前年比以上のものを求めて日本は原発を造り、その事故に庶民が巻き込まれてしまったんです。
今回の作品に出てくる夜ノ森という町に行ってきました。今は入れないけれど、桜の名所でね。人家は全部残っているんですよ。そして窓から覗くと、新しい家の中にベビー用品があったりする。
そういうのを見ると、この家は最近建ったんだな、最近子供ができたんだな、ということが分かるでしょう。ローンはいくら残っているんだろう、家を建てるのは一大事業だから夫婦が夢を語り合って完成したんだろう、と。空想力を働かせれば分かるでしょう。そこに住めない悲しみだって感じられる。
もうちょっと古い家では、家の長押の上に代々のおじいちゃんやおばあちゃんの写真が飾ってありました。この家のおじいちゃんは原発ができる前、ここでたばこ農家か米農家をやっていたんだろうな、とか。原発立地の問題が起こった時に反対したのか、しなかったのか、とか。原発ができる前はそれなりに貧しいけど幸せな暮らしを営んでいたはずだと思うんです。
「足るを知る」ことが僕の座標軸なんです。それをこれまでずっと伝えてきましたし、これからも伝えて行くべきことです。前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがあるはずです。