
こんにちは!飯塚です。
子供の頃、祖父の影響でよく聴いていた(歌っていた)歌が
「りんごの唄」 (年がバレる??)
そんなにテレビに出ていたわけでもなくて、
祖父から耳コピーで教えてもらった気がします。
戦後、日本人を元気づけた「りんごの唄」。
そんな思いで名づけたのが「りんごラジオ」。
被災地、宮城県山元町の災害ラジオ局です。
先ほど、報道ステーションでやっていて、共感した言葉があったので、
ブログにしました。
りんごラジオのことは、最後に報道ステーションのサイトからコピペしてありますが、
東日本大震災から10日後に、情報が届かなくなった住民に、
ライフラインや犠牲者情報を流したそうです。
こちらは、りんごラジオのブログ。
トップ面に3月25日の朝日の写真があります。
悲しみの中でも、こんなに美しい朝日がのぼりました。
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さて、私が印象に残った言葉というのが、
「町の人が欲しいと思う情報を、ラジオは流し続けています」。
私もよく考えます。
知りたい情報を伝えているだろうか。
きちんと伝わっているだろうか。
情報って、間違った情報が本当のことのように流れることもあるから、
心して・・・。
そして、読んだ人が、元気になったり、笑顔になったり、してくれると、最高。
珍しく、真面目なブログでしたが、りんごラジオのニュースに、
大事なことを再確認させてもらいました。
写真は筑波山と田んぼの風景です。いつでもそこにあるという存在感。
以下コピペです。
プレハブのスタジオから伝え続ける災害ラジオ局
宮城県山元町にある小さなFM放送局「りんごラジオ」は、東日本大震災から10日後の2011年3月21日午前11時に開局した。
震災の日、山元町沿岸部は津波で大きな被害を受けた。
防災無線は地震で壊れ、地元の町民には何も情報が入ってこなかった。
そこで、情報の発信が必要と考えた元東北放送アナウンサーで、山元町に移り住んで8年がたっていた高橋厚さんは、臨時災害ラジオ局「りんごラジオ」を立ち上げた。
初めは、ライフラインの情報とともに、犠牲者や行方不明者の名前を読み上げるという悲しみだけの放送だった。
毎日、町の人が欲しい情報をラジオは伝え続けた。
開局から2年10カ月。避難所にもなっていた山元町役場に開設されたラジオ局は、今はプレハブに移り、放送を続けている。
臨時災害放送局の放送免許の期限は3年。今年3月で期限が切れるが、高橋さんは延長を申請するつもりでいて、「仮設住宅があるうちは、伝えることがある」と語っている。