まず、ピアノ演奏会に行った。「いすぽん」こと勝又圭介くんの演奏会である。
彼とは同年・同郷だが、知り合ったのはかつての職場で、だ。
2004年10月23日、というのは新潟県中越地震の日付だ。その日僕は本来は休暇であるはずだったが、職場の都合で仕事をすることになり、長岡駅付近にいた。で、激しい揺れに、しかも40分間に3度も見舞われた。信越線は当然にストップし、僕は職場が心配で見に行った。
職場の処理が一段落ついたところで、僕は勝又くんの小さくて簡易な自動車に乗せてもらった。その職場にはその年の夏からいたけれど、彼が同年・同郷だと知ったのはその時が初めてだったんじゃないかな?我が家の駐車場までそのまま送ってもらった。
2006年の春に僕はその職場を去り、東京に戻った。その間、勝又くんとは、正直に言えば、それほど深いつきあいをした記憶はない。職場の呑み会で同席した程度で、ことばを交わす機会もあまりなかったんじゃないかな?つきあいもそのまま途切れた。
が、昨年2月にfacebookを始めたとき、真っ先に探してつながろうと思ったのは勝又くんであった。自分がなぜそう思ったのかはわからない。でも、彼とのつながりを絶ってしまったことは非常に惜しかったという思いがどこかにあった。
で、今春、僕が里帰りをしたとき、彼と6年ぶりに直接会った。彼の方から誘ってくれた。本当にうれしかった。いろいろ話して、彼とのつながりは、やはり特別に重要だと確信した。
それで、今回のピアノ演奏会に脚を運ぶことにした。修羅をまとって。
聞くところによると、彼のピアノは、人の心を落ち着かせ、あるいは眠りに誘い、あるいは身体をほぐすというではないか。しかも今回は、アロマテラピースクール「ハーブドロップカレッジ」によるプロデュースという。演奏会の合間には、アロマ瞑想タイムも用意されていた。
そんななあ、簡単になあ、この俺が癒されると思うなよ!
精一杯抵抗してやるつもりだった。
が、会場にたどり着く前にもうつまずいた。
まず、京王線が遅延。で、会場である「ベヒシュタインサロン」、僕は大江戸線に乗り込むまで港区海岸にあって、大門が最寄り駅と思い込んでいた。だが、スマホで調べるとどうも2カ所あるらしいことに気がついた。東新橋にも「ベヒシュタインサロン」がある。大門駅が近づく中でかなり混乱したが、あちこち調べて、結局は後者の「汐留ベヒシュタインサロン」が正解であることがわかった。トップページに前者の「浜松町ベヒシュタインサロン」が表示されるのが混乱の原因だった。
大門の1つ隣り、汐留駅で下車。
WINS汐留が目印としてわかりやすい。
汐留の「イタリア街」。こんなところがあるとは、イタリア人の私も知らなかった。
「ベヒシュタインサロン」着は開演3分前くらい。とてもじゃないが修羅を調える余裕はなかった。
開演前、勝又くんの挨拶を受ける。名簿に僕の名前があるのを見て驚いたという。そりゃそうだ。そうしてもらうために、僕は聴きに行くことをずっと隠していたのだから。
会場に入り、まずはベヒシュタインのピアノに思考が向いた。大きい。そして中は複雑な構造に違いない。
何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、これは驚くべきことだ。この大きくて複雑なものが創られた理由は、ただ音を出すためである。ピアノだけではない。ただ音を出すために創り出されたもののなんと多いことか。音色も形も操作法も古今東西ほとんど無限ではないか。
音を出すという、ただそれだけのことに対する我々の執着の、なんと根深きことか。
僕自身はというと、音をならすことにさほどの興味はない。聴くことは好きな方だとは思うけど、興味は曲そのものよりもむしろ詞の方にある。だから洋楽よりも邦楽の方を圧倒的に好む。
言語的に理解することができないものは、非常に不得手なのだ。
だから、タンゴやフラメンコは好きだ。ジャズも言語的だ。
でもピアノはどうだろう?タンゴやフラメンコ、ジャズのような言語的要素はない。ピアノの「文法」のようなものを理解していれば、言語的に見えるのかもしれないが、あいにくそういう知識はない。
しかもピアノときたら、視覚的要素もかなり限定されている。席が遠かったり、角度がうまくなかったりすると、指の動きなどはもちろんわからない。この辺も、聞き慣れている人はおそらく耳で判断できるのだろうが、僕はそうではない。
したがって、「いすぽん」の演奏を聴いて、他の方たちのように涙をながす様なことはできなかった。いや、何かに感じ入り、心を動かそうと努めたのだが、これと明言できるものはなかった。
こんなことを本人が読める場所に書くとは。鬼畜の所業だな。本当に何をしに行ったのか。
でも、第1曲目から涙を流して聞き入っている人は確かにいた。会場にいた誰もが絶賛していた。
あの日あの会場にいた中で、僕が最も聴かせる甲斐のない男だったのは間違いない。
だから、その日勝又くんが言った次のようなことば(僕の記憶なので、そのままではない)に深く感じ入った。
「自分はこのような形で人に演奏を聴いてもらうのは違和感がある。自分は、ピアノというのは、寄り添う存在であると思う。自分のピアノが、誰かの人生の大切な場面の背後で流れていたなら、すごくうれしい。自分にとって最高の褒めことばは、『あなたのピアノは私にとって邪魔にならなかった』、ということばだ。」
その通りだと思った。まったくさすがだと。演奏会後、僕がそう讃えると、彼は困惑して、
「まあ、そういうふうに思って演奏している人は他にあまりいないと思うけどね」
と言った。
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「愛するということ」という曲だ。
http://www.youtube.com/watch?v=cg8XHFJuKUE
youtubeの彼のチャンネルで非常に再生回数が多いと聞いたから、ではない。この曲が、僕にとっては、何か唐突に終わっているような感じがしたからだ。もっとつづきがあるのではないか、と会場でも違和感があった。
で、この記事は、この曲を聴きながら書いた。
すごく良い曲じゃないか。
会場で気がつけよと。
でもやっぱりラストの違和感は変わらない。だから何度も聞いてしまう。
繰り返し聞くうちに徐々に違和感は消えていった。でもむしろ最初に覚えた違和感の方を大切にしたい。
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あの日、僕は彼に『風の旅人』の復刊第1号と第2号を贈った。彼ならこの雑誌の意味を僕よりも理解してくれるだろうと思ったから。最初は最新号である第2号だけにしようと思った。が、第1号も贈ることにした。テーマが「修羅」だったからだ。