稽古3日目
朝の稽古。
昨日到着された天台宗本性院の永宗住職の声明を初めて拝聴した。
ご住職は今回の舞台に特別参加のため、岡山からハワイ島にいらしてくださっている。
音楽大学を卒業され、国内外の劇場、宗教を超えたグレゴリオ聖歌とのコラボコンサートも行なってこられた方である。
岡山教区でも宗務所長としてご活躍されていらっしゃる大変ご立派な和尚様なのだけれど、とても気さくで周囲への目配り気配りをされ、すぐに自ら動かれるので、私たちは恐縮し通し、という場面もかなりあった。
和尚様の第一声から、心に振動が起こった。
静まったお稽古場に響く声明に涙が出る。
皆でお稽古場の外にある松の木と祭壇、ご住職に向かって献花、お祈りをした。
今回の舞台に全身全霊込め、皆と力を合わせてやりきれますよう。
毎日毎日、自分の心がふるふる震えている。
シズノ先生に、永宗住職に、皆に、自然に。
お稽古場のあるお庭
午後の稽古中、気づきがあった。
自分のした質問に対する回答から、自分が「ここ」と気になったことにだけ意識が行ってしまい、自然な流れ、全体的な動きを見ることができなくなってしまう傾向があること、具体的には誰かの動きだけ、自分の動きだけにフォーカスしてその時々の全体の流れを見ていない時が多かったことに気がついた。
自然に流れ行く「場」を意識せず、型通りの動きを守ろうとすれば、例え動きが正しくとも、その場面は不自然になってしまう。
もっと「今」「なにが起きているのか」を俯瞰的に見る力、ミクロだけでなくマクロでものを見る必要がある。
これは舞台だけではない、生きていくなかで両方を常に意識する、起きていくことに乗っていく力ともなるのよ、と和泉さんにアドバイスをもらった。
これまで「自分」のことだけで目一杯精一杯だったけれど、もう一段階、視点を上げていく意識を持とう、と決めた。
夜、事件がおきた。
宿泊先でなかなか終了しないランドリーの様子を見に行こうと階段を降りていたところ
ズルッ、ドン!
スリッパが滑り、段を踏み外した。
一段だし、大したことないだろう、と軽く考えていたが、痛みが強い。
部屋に帰ってじっくり見てみた。右薬指が赤く熱を持って腫れてる。
どうしよう……こんな時に……
一瞬、もう明日から稽古に出られない、稽古どころか舞台も……の思いがよぎる。
…でも、なんとかする!するしかない!
和泉さんに事情を話し、レスキュークリームを塗ってもらってしばし待つ。
もう一度重ねて塗布し、回廊のソファでひとりじっと過ごす。
時計はもう12時を回ってしまった。
部屋に戻ると既に皆眠りについている。
明日のことを考え布団に入るけれど、なかなか寝付けない。
そんな時、ふと思い出す人がいた。
本当はその人のことが好きなだけなのに
相手を貶めることで何を得ていた?
自分の至らなさ、つまらなさ、情けなさを隠すために
相手を貶めて自分が優位に立とうとしていた。
人としては皆対等なのに
出来る出来ない
能力があるないで
自分が劣っていると思っている部分が
自分より秀でていると感じる人に対して
どこかに未熟さ、欠点などを見つけることで
自分と対等、優位に立とうとしてた。
ごめんね、ごめんなさい......。
涙が頬を滑っていった。
指の痛みが心の痛みを引き出して、一緒に癒えていこうとしているようだった。