通っている作業所で定期的に管理者の人が社内報ならぬ作業所内報を書いてる
今回の記事には「森永卓郎さんのがん公表のこと、自分の父親が数年前に癌で78歳で亡くなったこと」が書かれており、
そこまでは事実を書いたんだということでよかったのだが
「自分も五十代になってあとこの景色を何回見ることができるだろうと思う、父の年齢まで生きるとすれば
後2?回だと思うと毎日を大切に生きなければ…」みたいなことが書かれていて、
三十代で発症した自分としては、ちょっと複雑な気持ちになったのよ
私は、この管理者のお父さんの亡くなった78歳まで生きている可能性はあまり高くないし、いつ再発するか分からないから
現在50代前半くらいの管理者より「この景色」を見られる回数は少ない可能性もある
この管理者自分自身は現時点で癌ではないし、個人的な感傷に浸っている
私の違和感の正体は「利用者に癌患者がいるのに死に関する話を書かないでほしい」
というのが大きいと思う
これも被害妄想なのかな…
この管理者の家族と私は何の関係もないわけだけど
実際乳がん経験者である私の母親も、もう十数年以上生きている訳なんだけど
自分の年齢による死への不安をそのまま書いただけで、癌患者である利用者のことはあまり考えないで書いたんだろうなと
むしろ逆に私を元気づけるつもりで書いて逆効果になったのかも?
よく分からないけど、死に関することはデリケートな話なので公の文書には書かないのが無難かと思いました