6/2。週明け、火曜日。

普通に迎えに行った。山の幼稚園らしく30mくらい?坂を登ると園舎がある。

坂をいつものように登りきったか?というところで呼吸が乱れ(いつも軽く息は上がる)同時に尿意と軽い吐き気とふらつきが一気にきた。息子がもう外にいて、いつものように投げ捨てられる前にリュックを受け取り、息子を園庭の下の方で遊ばせようと思った。

習い事がない火曜日、
降園後17時まで遊んでいい決まりで、
遊んで帰るのが日常だから。
18時からオンライン英会話があったが、
それは17時に帰っても間に合う。

遊ばせようと思った。でも足がすくむ。
少しめまいのようにふらつく。
尿意もあり、息子を受け渡してくれた近くにいた先生に、トイレを貸してくださいと思わず言ってしまった。家出る前に用足したんだけどな…。恥ずかしい。と思いながら。

普通にトイレをして、靴を履こうとした。
もうなんかふらつきすぎてて履けない!
ふらついてる時のファスナー式の短いレインブーツの履きにくさ。副園長がなんかこっち見て大丈夫?と声をかけられるも、大丈夫?って聞かれたらはい!か、大丈夫です!しか言えないじゃん?

で、なんとか靴を履いて外に出て息子と合流したけど息子を見ててくれた主任の先生にふらついてるのがバレる。もう完全に怪しまれてる。

ちょっと休んできな!と言われて中に戻る。なんのために頑張って靴を履いたんだ。

小部屋に案内され座っていた。
過呼吸だよな…と思いながらなんとかしようとするも、そばにいてくれたのが園長先生という。この園長先生が退園かどうか判断するので、ODの件があってから苦手になってしまった。いや、園長先生は悪くない。子どもを守る、スタッフを守る仕事だから仕方ない。そんなにきつくなにか言われたわけでもない。ただちょい保守的なだけだ。


私が運転中に事故らないか?を凄く気にしてて、万が一、事故っても仕方ないと思ってますか?って主人に聞いてたのは流石に引いた。前回金曜日に救急車沙汰になってから月曜日の朝に話をしたのだけど、その話の中で。主人も一瞬カッとなって強い口調で、それは何回体調不良になったら送迎禁止とか決まりがあるんですか!!?みたいな感じでつっかかったからなのかわかんないが。

そんな園長先生がそばにいてくれるのはありがたいのだが一言で言えばありがた迷惑というか…私には合わなかった。主任の先生が白湯を準備してくれたり、園長から事務の先生に変わったりしたけどもう既に緊張感が解けず意識が朦朧としてくる。

主人が電話で呼ばれたのか来た。いや、ごめん、ほんとごめん。怒ってるよな…と思いながら過呼吸。支えがないと座ってられないくらい全身が痺れてしまった。そして床に落ちたのは覚えてる。

救急車を呼ばれた。まただ。そんな事を思いながらどうしようもない身体をどうすることもできなかった。聞こえているが、意識がないと思われたようで。まぁ半分くらい覚えてないので意識ないのか?

男性の先生が呼ばれて、担架で運ばれたのはわかった。

救急車で運ばれてる間、何度か目を開けた。
誰も乗ってなかったので少し安心した。あとから聞けば主人は息子と共に救急車の後を追ってきたらしい。

病院についてしばらくしても私の意識が回復しなくて、HCUに入院になった。

翌朝起きたらHCU?ECU?どっちだ?と思いながら見覚えのある場所にいたのはわかった。10時少し過ぎてた。今日は多分水曜日だ。予定すっぽかしてる!とすぐさま関係者のグループにLINE。6分過ぎてた。OK的なスタンプがきたので一安心。私がいなくても大丈夫なので、大した用事というほどではない。が、申し訳ない。

看護師さんが引き出しから指輪を出してくれた。安い結婚指輪だが大事なものだ。直ぐつけたくてつけようとしたけど左手の薬指に酸素はかるやつかなんかなんかつけられてて(なんでここ?)仕方なく右手の薬指に付けた。

コンタクトをしているような気がして看護師さんに声をかけ、ゴミ箱持っててくれて、コンタクト外させてもらった。コンタクトしたまま寝てしまったと思ったので焦った。痛くもなんともなかったけどワンデーなのでそのまま捨てた。

精神科の先生が来て(この先生の声、聞き覚えがあるおかげ?で目が覚めた気がした)先生のおすすめで精神科に移り、もう一泊することになった。

早く帰らなきゃいけない気持ちはあったが、動く自信もなく、もう少し休みたい気持ちもありお願いした。

主人とLINEしてて、退園にはなってなく、今朝主人が息子を送ってくれたこと、母が泊まりに来てくれて食事の準備などしてくれてることを聞いた。バレたくない私だが入院となると連帯保証人が必要だったりでバレるのは仕方ないと思った。主人は心配してて怒ってないよって言うけど、そりゃ主人の前ではそうだろうけど、内心怒ってるだろうなってずーっと思ってた。

昼頃精神科に移り、個室に入った。誰も何にも希望言ってないけどいつも個室だ。ヤバイやつだからか?カルテに個室って書いてあるのか?知らないけどいつも個室だ。今回はトイレと洗面付き。

点滴が外され、尿管も外された。
左腕が痛い。多分筋注されたんだな。
胸やお腹に心電図のパット?がついてたから捨てた。

お昼ご飯病院食を5年ぶりに食べた。
ご飯を小盛りにしてもらった。
緊急で作ってもらったようで名前のプレートが手書きだ。

子どもを生む時、ここの産婦人科と精神科で連携してもらい産んだので、産む前精神科に入院、産んで2日くらいまで精神科にいたのが最後だった。そのときは観察室だった。ヤバイやつが子ども産むぞみたいな…。

それ以前にはメンタルで何度も何度も入院しているので病棟の勝手はだいたい分かる。
知ってる看護師さんも数人だけど残ってるようだった。ホールに出ると、懐かしいなと思った。説明を聞いたり書類にサインしたりして、あとはスマホで主人とLINEしたりして過ごした。

夜眠れないかと思ったが前日の夜HCUで寝た気がしなかったからか結構寝れた。
朝も眠くて何度も起きては寝た。知ってる看護師さんがきて、久しぶりー!って言われ、私も覚えてるので少し話をした。5歳の子どもがいる、引っ越して町に住んでるとか話しててめちゃくちゃびっくりされた。畑もしてるって言ったらめしちゃん、畑できるの?!って言われた。え?私そんなに何もできない感じに見られてました??

ピアノ上手だったよねとか覚えててくれて嬉しかった。上手ではないが暇なので昔はよく弾いてた。

主人が息子を幼稚園に送ったあと来てもらい、10時すぎに退院手続きして昼頃には家に帰った。家に帰ると母が畑をしていた。

普通に笑いながらおかえり〜って感じで。
私はとりあえず髪の毛と身体が二晩でベトベトになったのでシャワーを浴びた。精神科にいるとき浴びさせてもらいたかったな。感覚過敏的なものなのか、結構苦手なのだ。

昼ごはんに肉味噌のそうめんを作ってくれた。なんかおしゃれだし美味しかった。

夕食もシチューやパンやサラダなど豪華な感じで作ってくれた。退院祝だからね〜と言ってた。母は相変わらず強かった。

土曜日の夕方、畑をやって父と帰るまでいてくれた。土曜日の夜から食事づくり再開。日曜日はちょっと午後3人で行ったことない公園に行ったりして過ごした。大きい遊具あって息子は楽しそうだった。道の駅にも寄って帰った。

そして今日は月曜日。送りは大丈夫だった。
迎えがどうも先週と同じような雨降る前のような気候でフラッシュバックし、手が少ししびれてきたので幼稚園の近くの施設でトイレを借りてから幼稚園に息子を迎えに行った。

トイレに行ったおかげか、しびれは治って、普通に迎えに行けた。

でも頭の中はぐるぐると不安がうずまき、
習い事の時間になって送ってったあと待っている間もそわそわしてた。でも昼間に友人が電話をしてくれたし、LINEのメッセージのやり取りもしていたから気が紛れた。本音を言える唯一無二の友人だ。


帰宅してからもどうもなんか落ち着かない…。幸せなんだ、何も辛くないんだ、だから何もあっちゃいけない、過呼吸なんてなっちゃいけない、また幼稚園で倒れたら今度こそおしまいじゃないか?なんかODしたい、いや、ただ落ち着かない。苦しい。なにが?わかんない。プレッシャーかな。子どもがいると、親は親を休めない。

そんなことわかって、障害者の子で可哀想ってならないようにしてきたつもりだ。
それをここで崩すわけにいかない…。大好きな幼稚園、私が最高だと思った幼稚園にこのまま通わせ続けたい。小中学校も同じ学園じゃないと私は気がすまない…。これはエゴかもしれない。でも、この森で学んでほしい。自然から学んで、自分を大切に、地球を大切に、他者に優しい子になってほしい。自分の存在がかき消されるような思いを、子ども時代がトラウマにならないでほしい。子供らしく育ってほしい。

送迎に、片道30分×4で1日2時間かけている。
習い事など入れたら1日平均100kmは走ってる。息子は1往復だからそこまでの負担はないはずだ。バスの子たちのほうが乗ってる時間は長い。

私さえ送迎がちゃんとできれば息子は通える。親のせいで選択肢が狭まるのはだめだ。

それでも私は変わらず、
ずっと、精神疾患患者なのだ。
産んでからODするまでなにもなかった。

犬が行方不明になりメンタルが乱れ危なかったことはあったが、それは去年一段落して終わった。それもトラウマ的に蓄積しているのは感じるが、それほど実際の影響を感じてはなかった。

身体は正直で、心も形を無理やり変えることはできない。私は私でしかない。
努力しても無理なんだ、やっぱり病気なんだと悲しい。病気じゃなくてただの甘ったれだと思ってるんだけどね、まぁ一般的に見たら病気だよな。

生まれ持って感じ方が周りとちょっと違うのはわかっている。でもみんな違うものじゃないか。その中でみんな頑張っている。病気持ってる人も山ほどいる。私のなんかよりもっと重い人も沢山。

じゃあ私は、頑張ってないだけだ。
このつらさはなんなんだ。
苦しいのはなんなんだ。

母親が体調不良で倒れる家が幸せとは言えない。私は幸せを守らなきゃいけない。

押し殺そうとしてもでてくる苦しさは、
偽物だと思っても消えない辛さは、
どこへどうしたら、誰も困らないんだ。

精神薬は、薬剤過敏性により殆ど飲めない。
アカシジアが出すぎて発狂したこともある。
薬物依存っ気があるくせにベンゾジアゼピン系しか飲めないし効かないのだ。

リボトリール0.5mgだけ頓服で出されてるけど1錠でも飲んだら運転しない約束をされてて、結局夜寝る前くらいしか飲めない。

入院から帰宅してから夜に飲んでみたけど、薬を飲むこと自体トラウマのようになっていた。蘇る嫌な記憶。リスパ液を無理やり口に入れられたり、アカシジアで発狂したり、ODして怒られまくったり、色々行動制限されたりしたこと。いろんなことが精神薬の味や見た目でフラッシュバックした。

今はお酒を飲んで、泣いている。
ジムビームのハニーのハイボール、
鍛高譚のソーダ割り。

さてもう一杯鍛高譚飲むか…

私ができる感情の逃がし方は酒と、こうして言葉に書き出すくらいしかわからない。

どうやってメンタル辛いのを過ごしてたか思い返しても荒れてたことしかない。健全なやり過ごしかたがわからないまま。ここまできてしまった。