父と長兄が守った我が家は空襲を逃れて無事だったせいもあり、母と私たちは終戦間もなく帰京することになりました。

その道すがら、乗り換えの盛岡駅で上野行きの列車を待っていた時のことです。フォームには、私たち一家の他は、数人しかいませんでした。とそこへ、東京からの列車が反対側のフォームに到着しました。中は、いわゆるGIと呼ばれている進駐軍兵士ばかりでした。彼らは皆若くニコニコ顔で明るく、私たち一家を物珍しそうに見続けました。私たちも、珍しそうに彼らを見ました。なにせ、アメリカ兵を見たのは、これが2度目でしたから。最初は、まだ戦時中のことで、ある日「おーい、アメリカ兵がいるぞ」と少年が叫びまわっていたので彼についていったら、いつも通っている小学校の裏門の前に人だかりがしていて、輪の中に一人のアメリカ兵が土下座させられていました。目隠しがなされていたので、顔はわかりませんでした。手足の嫌に長い白人でした。あとて、撃墜されたB-29爆撃機の搭乗員であることがわかりました。彼の真横には一人の若い日本兵が直立の姿勢で警護していました。このアメリカ兵を見物していた日本人はおよそ30人ほどでしたが、みな押し黙っていて、彼に罵声を浴びせることも、またツバを吐いたりするものもいませんでした。みな、押し黙って見守っていました。私は、この場に10ほどいただけで飽きてしまいその場を離れたので、その後この兵士がどのように処分されたのかはわかりません。さて、盛岡駅に戻って、GIたちと私たち一家は暫くの間見つめ合っていましたが、ふと気づくと、数人のGIが手招きしているように思えたので、母親が一人で近づいて行ったら、前掛けにいっぱいのキャンディーを呉れました。母は、それを私たちに分けてくれました。最初に貰ったのがチョコレートでした。戦前・戦中とキャンディーに飢えていたこともあり、その時食べたチョコレートのあまりの甘さに驚かされたことを今でもよく覚えています。このGIたちとの遭遇で一番驚いたのは、彼らがみな若く、そして何より物凄く活発で明るかったことです。日本人は、戦時中から戦後と、笑うことを忘れた民族のようでした。そこへ突然ねこんなにも天真爛漫な若者たちがアメリカからやってきたわけですから、とてもとても驚きました。同時に、彼らはどしてあんなにも天真爛漫で明るいんだと、その訳が知りたくなりました。これが、アメリカ人に興味を持ったキッカケです。しかし、この興味も、敗戦後の未曽有の食糧難のため、どこかに吹き飛ばされてしまいました。