気が付いたら、猫ってなんかいいな、と思うようになっていた
母が猫好きで、彼女が子供のころに飼っていた猫の話をたくさん聞いていたからかもしれない
初めてナマの猫と触れ合ったのは小学校低学年だったか
それより前もあったのかもしれないけれど記憶がない
近所に住んでいた叔父の家にチロという三毛猫がいた
他にも何匹か猫が居たような記憶があるのだけれど、あまり覚えていない
もう数十年前の話で、その頃の飼い猫は出入り自由で不妊手術なんかしてなくて、チロも毎年子猫を産んでいた
叔母の寝室の押し入れで生んでいた時があって、まだ目の開かない乳飲み子を1匹ずつ誘拐して隣の部屋に置いておくと、チロがすぐ迎えに来た
無邪気で残酷な小学生のアタシは、それが楽しくて何度も何度も乳飲み子を誘拐した
チロにしたらいい迷惑だったと思う
今思うとほんと申し訳なかった
ある日、チロの調子が悪くなった
叔母が「ずっとお風呂場にいるんだよ」と
猫が亡くなる時はヒンヤリした静かな場所に行きたくなるみたい、とその時叔母は言っていた
恐らく数日後だったと思うけれど、チロが死んだんだよ、といとこから聞いた
その後に出会った猫は、中学1年生の時
友達と遊んでいた時に公園で1匹の子猫を拾った
当時の家は猫を飼うことが出来ない環境で、連れ帰れずどうしたもんかと困ってしまった中学生のアタシ
スマホなんかない時代、家が分かる友達を片っ端から回り、引き取ってくれないか聞いてみたけれど全滅だった
公園で子猫を抱えて困っていると、赤ちゃんを連れたママさんが声をかけてくれた
「さっきから見てたんだけど、うちでその子を飼ってあげられると思う」と
困り果てていた中学生のアタシは「ありがとうございます!!」と子猫を託した
その猫はもうこの世にはいないと思うけれど、あの時のママさんには今も感謝している
今思えば優しい時代だったなー
そして高校生の時、初めて2匹の猫と暮らし始めた
その頃は猫が飼える環境で、クラスメイトから「引き取り先を探している子猫が4匹いるけど」と声を掛けられた
猫好きの友達と2匹ずつもらうことにした
母猫はアメショで父猫はキジトラ、子猫にアメショ風味は全くなく、至って普通のキジトラ2匹と黒2匹だった
その家は今思うとちょっとヤバいとこだった
ダブルベッドにきれいなお姉さんが寝ていて、その足元に母猫と子猫たちがいた
家にいたお兄さんも普通の人ではなかった、と思う
「全部持ってってー」と
お姉さんにもらったどっかのブランドのでっかい紙袋にピャーピャー鳴く子猫たちを入れて、友達と電車で連れ帰ってきたのをとてもよく覚えている
今思うと無謀
キジトラと黒、友達と分けた
うちに来た2匹は本当にスクスク育って、あっという間に大人猫になった
出入り自由な飼い方だった
もらって来たものの、結局猫の世話はほとんど母がしていて、アタシは自分のこと優先だった
でもとてもアタシに懐いてくれて、帰宅を家の前で待っていてくれたり、夜は一緒に寝ていた
アタシは二十歳でひとり暮らしを始め、猫たちは実家にいた
その頃、父親の悪事で実家を手放すはめになり、猫の処遇を考えなければならなくなった
アタシはペット不可マンションに住んでいたけれど、2匹を内緒で飼うことにした
それを伝える前に、父親が2匹を棄てに行こうと企んでいたことが分かり、母と大激怒した
結局未遂に終わったのだけれど「何を考えているんだこのオヤジは」と思った
黒猫は15歳くらいで亡くなった
食欲がなくなり、元気がなくなり、病院通いもしたけれど、結局原因不明だった
今ほど猫の医療が進んでいなかった時代
猫エイズの検査代が目ん玉飛び出るほど高額で、めちゃめちゃ恐ろしい病気だと思われていた時代
キジトラは22歳まで生きた
大往生だった
アタシの20代後半~30代後半までの暗黒時代を一緒に過ごしてくれた子だった
2匹とも最期は腕の中で送れたので、よかったと思っている
キジトラ1匹だけになった時、自宅に押し掛けてきた子猫がいた
とても懐こいキジトラで、確か3日くらい居候していたのだけれど、その頃アタシ自身が結構壊れていて、その子猫にはぼーっとした印象しかない
何とかしようとか、全然思わなくて
晩にベランダに出ていたので、放っておいたらいつの間にかいなくなっていた
22歳のキジトラを送った数年後に出会った猫が、良くも悪くもアタシの人生を大きく変えた
この話はまた今度
いつかの散歩で出会った、ステキ前髪の三毛猫さん