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赤薔薇

今日はカウンセリングの日でした

私、闇が深いので。
真顔

毎回号泣大泣き
(私の中では号泣の部類ですが
一般的には"しくしく泣く"
ぐらいの感じです)

担当心理士さんには
私という人間を理解して頂くのに
最もわかりやすい資料として
私のブログを読んで頂いています

まず今朝、提起していた問題

娘との離別が全く悲しくない
という件につきましては
特に問題はないし
異常でもない
との見解でした

離れていても
しっかり心が繋がっていると
感じているので

物理的な距離は
私にとってはまったく
問題ではないのです

どこに住んでいようが
誰と暮らしていようが
心はいつも繋がっていると
信じられるので
さびしいと感じたりもしない

(心が離れたと感じたらきっと
寂しいと感じると思います)

ただ
夫との暮らしの中で
夫からの危機的状況を
娘とは共に手を携え
くぐり抜けてきた経験から

連帯感や結束感というものが
非常に強くて

互いの境界線が薄く
一心同体化のような現象は
見受けられて

互いに自分の一部のように感じて
しまっているところがあるから
情報の共有が
通常の親子以上であったり
本来秘匿しておくべき情報なのに
自分の情報であるかのように扱い
ブログに書いてしまうという行動に
出てしまっていたところは
あるでしょうね、と

アンケートで寄せられたご意見
について私が感じたこと
いろいろと分析して頂いて
(回答内容をお見せしたわけでは
ありません)

細かなことはまた今度書くとして

このアンケートを募るという行為
そして別に傷つかない口笛という感覚

これ
自傷行為
の一種なのだそうです

ただ人の関心を引きたいだけの
リストカットの人は
痛い痛いえーんと大騒ぎして
気を引くわけですが

本当に深刻に心を病んでいる場合
リストカットしている最中って
痛みを感じないのだそうです

私、この深刻なタイプ
のほうのようです

つらいことが多過ぎる人生で

心のスイッチを切って
心の痛みを麻痺させて
何も感じないように
自分の心を守ってきた
という面も多分にあるけれど

この自傷行為の根底にあるのは
皆さんご指摘の承認欲求上差し

ただし
承認欲求と一口に言っても
それは皆さんが最初に思うような
自己顕示欲とかではなくて

自分がここに存在している
ということを
認めてほしい
という悲痛な願い
の表れなのだと
おねだり

以前にも書きましたように
3歳下の妹が医療ミスから
生死の境を彷徨い
再手術を重ね
長期入院になり
点滴を刺せる部位も
なくなるぐらい
妹の腕も足も痩せ細り
青黒い皮膚になり
大変だった時期

医療訴訟を起こすかと
検討した時期も
あったという話でした

両親は妹のことに構い切りで
小学生だった私は
放置されていました

人懐っこい子であれば
いわゆる放置子のように
振る舞えたでしょうが

超絶人見知りで
「おいで」と言われても
甘えていけない引っ込み思案で
優等生タイプの
おとなしい子だった私は
場の空気を読むから

駄々をこねたり甘えたり
問題行動を起こして
親の気を引くなんてことは出来ず

さびしくても
さびしいと訴えることも出来ず
ただただ我慢していましたショボーン

「誰か私に気づいて…」
「私はここにいるの」
「私を見て」
「誰か私を愛して」

その強烈な思いを
表面に出すことが出来ず
ずっと我慢してきて

優等生気質だから
勉強をがんばることで
親から愛されようと
していたのかも知れません

問題行動を起こすこともせず
思春期においても
タバコや酒やギャンブルなどに
溺れるなんて行動にも出ず
品行方正な独身時代を送りました

育児を終えるまでは
まっとうな人生を
ひたすら歩みました

その反動が育児を終えた今
出ているのでは
という分析

これは今日のカウンセリングとは別で
最近読んだ本の一節に出て来た話ですが

人間って
我慢できる総量が決まっていて

何かのことでものすごく
我慢していることがあると
人は不道徳なことに
手を染めてしまうらしいです

(とは言えブログが不道徳なこと
というわけではないのですが
普段なら
話さないような内容を書いたり
プライバシー違反をしてしまうこと
などでしょうか)

別のことで我慢しているから
このぐらいは羽目を外しても
構わないだろうと別のところで
自分に甘くなってしまうところが
あるそうです

いま起きている問題は
全部異なるようで
根っこの部分はすべて同じ

また
両親から愛されたくて
自分を認めてほしくて

常に相手軸で
相手が喜ぶことはなんだろう
どうしたら愛してもらえるだろう

そちらに主軸を置いて
行動を決めるので

自分が何をしたいかという
感情は後回し

常に相手のしてほしそうなことを
先回りして考えて行動を決める

感情より思考が先に来るので
自分がどうしたいかが無い

息を吸うがごとく自然に
相手軸で行動することが
当たり前になっているのだけど

それが必ずしも相手の望むことと
合致していないことも多々あって

行動の理由が相手由来であることが
相手に理解されていない時に
自己正当化に必死になる

私の育ってきた環境では
自分で自分を弁護をしなければ
相手の方から手を差し伸べて
私をわかろうなんて
してもらえたことはなかったし

誰も私をわかってくれないし
誰も私を擁護してくれないし
誰も私を守ってはくれないから
自分で自分を
守るしかなかった

ので
何か起きると
行き過ぎるぐらい
自己正当化しようと
必死になる

そういうものが根底にあるので

自分に似た存在を見ると
こころが痛み
放っておけなく
自分に重ねて
助けてあげたくなってしまう

そういう構造があるのかもね


私の根っこにあるものについて
洗い出していただきました

まだあるのですが
すごく長くなってしまったので

自身のおさらいがてら
思い出すところを
思い出すままに
ざっと書き起こしました

これから塾バイトなので
忘れてしまわないうちに
急ぎ書き留めたので

また後から
認識間違いなどあった場合
心理士さんからご指摘いただいて
書き直すかも知れません🙏