数あるブログの中からご訪問くださり、ありがとう存じます赤薔薇

 

 

 

今朝は寒くて目が覚めましたよ。

まだ夏布団で寝ているので、
「そろそろお布団を変えなきゃ」と思っているSionです(笑)

 

 

 

少し前まで「暑い、暑い」と言っていたのに、
朝晩はずいぶん過ごしやすくなりましたね。

 

 

 

季節の変わり目、皆様も体調を崩されませんようお気をつけくださいませクローバー

 

 

 

 

さて、今日のブログのテーマは「礼儀」について。

 

礼儀には、明確に「こうするべき」と答えのあるものもあれば、人によって受け止め方や価値観が違い、明確な答えのないものもあります。

 

人と人とが関わって生きている限り、永遠の課題ですよね。

 

 

 

礼儀というと、挨拶や言葉遣い、作法などを思い浮かべる方も多いかもしれません。

 

けれど、人と人との間にある礼儀は、それだけではありません。

人には、それぞれ自分なりの

「これくらいなら大丈夫」

という基準があります。

 

 

 

自分では失礼なことをしたつもりはない。

悪気もなかった。

これくらいなら、相手も気にしないだろう。

 

 

 

そして、ときには

「みんなそうだし」

「私だけじゃないし」

そんなふうに考えて、自分の行動を納得させてしまうこともあります。

でもね。

 

 

 

みんながそうしていることと、
目の前の相手に対して礼を尽くしたかどうかは、
まったく別の話なんですよね。

 

「みんなやっているから」

「私だけじゃないから」

それで相手が受けた不義理が、なかったことになるわけではありません。

 

 

 

自分の中ではOKでも、
相手にとってもOKとは限らない。

 

自分には自分の基準があるように、
相手には相手の基準があります。

 

 

 

そして、もっと大きなところで言えば、

「世の中の基準」

というものもあります。

 

 

 

何でもかんでも、

「人それぞれだから」

「価値観が違うから」

で済ませられるものではありません。

 

 

 

社会の中で人と関わって生きていく以上、

挨拶をする。

お世話になったらお礼を伝える。

約束を守る。

迷惑をかけたら謝る。

受けた恩を忘れない。

 

 

 

そういった、人と人との関係を成り立たせるための基本的な礼儀があります。

もちろん、時代や地域、立場や関係性によって、その基準には違いがあります。

 

 

 

けれど、

「私は気にしないから」

「私の周りでは普通だから」

という自分の基準だけで判断してしまうと、

知らないうちに世の中の基準から大きく外れていることもあります。

 

 

 

自分の基準。

相手の基準。

そして、世の中の基準。

この三つは、必ずしも同じではありません。

 

 

 

だからこそ、

「私はどう思うか」だけではなく、

「相手はどう感じるだろう」

「一般的には、これはどう受け取られるだろう」

と、自分の外側から自分を見る視点も必要なのだと思います。

 

 

 

そしてもっと難しいのは、

「私はちゃんとしている」

と思っている自分自身もまた、

知らないところで、

気づかないうちに、

案外しっかり「やらかしている」ということです。

 

 

 

私もそうです。

 

どれだけ気をつけていても、
自分の知らないところで誰かに礼を欠いているかもしれない。

 

 

 

自分では何とも思わなかった一言で、
誰かを傷つけているかもしれない。

 

自分では筋を通したつもりでも、
相手から見れば「不義理な人だ」と思われているかもしれません。

 

 

 

気づいていることなら直せます。

謝ることもできます。

 

けれど、自分が気づいていないことは、
自分では直しようがありません。

 

これが一番怖いところですね。

 

 

 

だから私は、

「自分はちゃんとしているから大丈夫」

とは思わないようにしています。

 

気をつけていても、やらかすときはやらかす(笑)

 

自分の知らないところで。

自分の気づいていないところで。

しっかりやらかしている。

それが人間なんだと思っています。

 

 

 

私はこの世界に身を置くようになってから、「罪穢れ」ということについて考える機会があります。

罪穢れのまったくない人など、私はいないと思っています。

 

 

 

生きていれば、人と関わります。

誰かに助けてもらうこともあれば、誰かに迷惑をかけることもある。

人を喜ばせることもあれば、知らず知らずのうちに傷つけてしまうこともある。

 

 

 

だからこそ私は、

誰かから不義理をされたり、

礼を欠かれたり、

理不尽なことがあったとき、

もちろん、その瞬間は腹が立ちますよ(笑)

 

「なんやねん、それ!」

と思うことだってあります。

 

私も人間ですから(笑)

でも、ある程度気持ちが落ち着いたら、

「私が知らないところで積んでしまったものを、ひとつ相殺してくれたんやな。ありがとう黄色い花ニコニコ

と思うようにしています。

 

 

 

もちろん、これは宗教上の教義として「不義理をされたら罪穢れが相殺される」という意味ではありません。

あくまでも、私自身の物事の受け止め方です。

 

 

 

そして、

「ありがとうと思うこと」と、

「相手のしたことを許すこと」は、

また別の話です。

 

不義理は不義理。

礼を欠いたものは、礼を欠いたもの。

理不尽なものは、理不尽です。

 

必要であれば、その人との距離を置くこともあります。

 

 

 

相手の行いまで「仕方ないよね」と正当化する必要はないと思っています。

ただ、その人のしたことで、いつまでも自分の心を占領される必要もない。

相手がどう生きるかは、相手の課題です。

 

 

 

そして、

自分がどう生きるかは、自分の課題です。

 

 

 

誰かに不義理をされたときほど、

「では、自分はどうだろう」

と振り返ってみる。

 

 

 

自分も誰かに同じようなことをしていないだろうか。

お世話になった人への感謝を忘れていないだろうか。

自分の都合ばかりを優先していないだろうか。

 

「みんなそうだから」

「私だけじゃないから」

そんな言葉で、自分の行動を正当化していないだろうか。

 

 

 

礼儀というものは、

自分が「ちゃんとしたつもり」で終わるものではなく、

相手がいて初めて成り立つものなのだと思います。

 

 

 

だから難しい。

そして、だからこそ生きている限り学び続けるものなのでしょうね。

 

 

 

そしてもし、

これまで私自身の言動によって不義理を受けたと感じておられる方、

私が気づかないまま礼を欠いてしまった方がおられましたら、

この場をお借りして、お詫び申し上げますお願いあせる

 

誠に申し訳ございませんでした真顔汗

 

……あ、でも苦情は受け付けておりませんので、あしからず(・ω<) テヘペロキラキラ

 

 

 

私自身、知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり、不快な思いをさせたりしてきたことも、きっとあると思います。

 

だからこそ、

完璧にはできなくても、

せめて自分の行いを振り返ることのできる人間でありたい。

 

 

 

そして、誰かに礼を欠かれたときには、

「はい、ひとつ相殺(笑)ありがとう黄色い花ニコニコ

 

 

 

そんなふうに受け取れる自分でありたいと思っています。

 

 

 

まだまだ修行ですな(笑)虹

 

 

最後までお読みくださり、ありがとう存じます赤薔薇