数あるブログの中からご訪問くださり、
ありがとう存じます![]()
Sionです![]()
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気がつけば、
前回のブログから少し間が空いてしまいました![]()
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先月末から、
得度式の先達を務め、
ご神行や山での修行、
交龍会での霊媒指導、
そして、
高祖会出仕のため、
弟子たちと共に所属寺へ帰山したり、
気づけば息つく間もないほどの日々を過ごしておりました![]()
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「帰ったら死ぬように寝る」
そんな言葉を冗談交じりに使うことがありますが、
今回ばかりは冗談ではなく…
家に帰ると電池が切れたように眠り、
気づけば朝を迎えている日が続いておりました![]()
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そんな折、
弟子といろいろな話をする中で、
ふと思い返したことがありました。
すでに皆様ご承知の通り、
私は霊媒師として活動する一方で、
修験宗の僧侶としても学びを続けています。
まだ僧位は権律師ではありますが、
神仏と向き合うことは私の人生の根幹となっています。
親は無宗教でしたが、
私が小さいころから家には仏壇がありました。
とはいえ、
毎日欠かさず手を合わせるような家庭だったわけではありません。
手を合わせる日もあれば、
そうでない日もある。
でも、お花や果物などのお供え物は必ずする。
そんな環境の中で育ちました。
私自身が独学でお経を学び始めたのは二十歳を過ぎてからです。
若い頃には二十四時間にわたる読経の行を修し、
四十代には、一か月間の行にも向き合いました。
振り返れば、
その行が現在の霊媒師としての道へと繋がる大きな転機だったように思います。
人生の節目にはいつも神仏があり、
祈りがありました。
だからこそ、
長年この道を歩む中で感じることがあります。
それは、一生懸命に信仰していた人ほど、
ある日を境に、
手を合わせなくなったり、
お経から遠ざかったり、
神仏への感謝の心を忘れてしまったりすることがあるということです。
もちろん、
疲れている時もあるでしょう。
忙しい時もあるでしょう。
私自身も読経が短くなる日や、
簡素になる日はあります。
ですが、
それと信仰心は別のものです。
私の中から、
神仏への感謝や敬いの心が消えたことは一度もありません。
一方で、
「私にはもう必要ない」
「やっても変わらない」
「今のままで十分」
そんな言葉を口にするようになり、
気づけば神仏や学びから遠ざかっていく方々を見てきました。
その姿を見るたびに、
私は仏教で説かれる『三障四魔』という教えを思い出します。
三障四魔とは、
人が善き道を歩もうとする時、
修行や信仰を深めようとする時、
そこに様々な障りや妨げが生じるという教えです。
もちろん、
何でもかんでも三障四魔で片付けるつもりはありません。
ですが、
長年多くの方々と関わる中で、
この教えを思い出させる場面に幾度となく出会ってきました。
本当に気をつけなければならないのは、
手を合わせなくなったことでも、
お経を読まなくなったことでもありません。
「自分はもう大丈夫」
「もう学ばなくていい」
そう思い始めた時こそ、
自分自身の心を見つめ直す時なのだと思います。
波長が下がっている時、
人は謙虚さを忘れやすくなります。
感謝より不満に目が向き、
学びより正しさを求め、
気づけば自分の考えだけが正しいように感じてしまうこともあります。
信仰をしていなくても、
スピリチュアルに興味がなくても、
修行をしていても、
していなくても、
人生は学びの連続です。
神仏やご先祖への感謝、
そして、
学ばせていただこうと思う心があるか。
時には振り返ってみることも大切だと感じます。
梅雨の時期は、
鬱々とした気持ちになりやすい季節でもあります。
そんな時こそ、
手を合わせる心だけは忘れずにいたいものですね。
最後までお読みくださり、
ありがとう存じます![]()
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