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ありがとう存じます赤薔薇

 

Sionです目キラキラ

 

人を育てるということについて、
あらためて考える機会がありました。

 

このAmebaブログを読んでくださっている方の中にも、
人に何かを伝える立場の方や、
誰かを育てる立場にいる方が
いらっしゃるかもしれません。

 

私はこれまで、
見えない世界と向き合う方々、
ヒーラーを目指す方々、
霊媒としての学びを深めたい方々と関わってきました。

 

その中で何度も感じてきたことがあります。

 

人を育てるというのは、
知識を教えることだけではない。

技術を伝えることだけでもない。

 

本当に人が育つときというのは、
その人の内側にある魂が、
自分の足で立ち上がろうとし始めたときなのだと思うのです。

 

どれだけ良い言葉を伝えても、
どれだけ正しいことを教えても、
本人の中に受け取る器が育っていなければ、
それはただの知識で終わってしまいます。

 

だからこそ、
人を育てるには順番があるのだと思います。

 

まず大切なのは、
人としての土台です。

 

挨拶をすること。
時間を守ること。
感謝を忘れないこと。
人に対して礼を尽くすこと。
学ぶ姿勢を持つこと。

 

これは、とても当たり前のことのように思えるかもしれません。

 

けれど、
この土台がないまま力だけを持とうとすると、
その力は人を助けるものではなく、
自分を大きく見せるためのものになってしまいます。

 

スピリチュアルな世界でも同じです。

 

見える。
聞こえる。
感じる。
エネルギーを扱える。

 

そうした力そのものよりも、
その力をどのような心で扱うのか。

そこが何より大切なのです。

 

そして、人は怖さを知ることも必要です。

 

怖さというのは、
人を支配するために怖がらせることではありません。

 

命の重み。
言葉が人を傷つけること。
未熟なまま力を使う危うさ。
責任を持たずに人へ関わる怖さ。

 

そうしたものを知るからこそ、
人は慎重さを覚えます。

 

怖さを知らない優しさは、
時に無責任になります。

 

怖さを知らない力は、
時に暴走します。

 

だから、
本当に人を育てるということは、
耳ざわりの良いことだけを伝えることではありません。

 

必要なときには、
厳しいことも伝える。

 

それもまた、
育てる側の責任なのだと思います。

 

けれど、
厳しさだけでは人は育ちません。

 

人は、言葉以上に姿を見ています。

 

親の背中。
師の背中。
先に立つ人の在り方。

 

「こうしなさい」と言う人が、
自分ではそれをしていなければ、
その言葉は届きません。

 

反対に、
多くを語らなくても、
誠実に生きている人の姿は、
人の心に残ります。

 

 

感謝を忘れない人。
自分の役目から逃げない人。
見えないところでも手を抜かない人。
人のせいにせず、自分を省みる人。

 

そういう姿こそ、
何より深い教えになるのだと思います。

 

そして、
教える側だけが偉いわけではありません。

 

人を育てているつもりで、
実は自分も育てられています。

 

弟子を見て、
自分の未熟さに気づくこともあります。

 

誰かの迷いや葛藤に向き合うことで、
自分自身の言葉の重みを知ることもあります。

 

人を導く立場にいる人ほど、
「私はもう完成している」と思った瞬間に、
成長は止まってしまうものです。

 

育てることは、
一方通行ではありません。

 

共に学び、
共に経験し、
時にはぶつかりながら、
お互いの魂が磨かれていくものなのだと思います。

 

 

 

また、人には夢中になる力も必要です。

 

何かに本気で向き合う人は、
周りから見ると少し不器用に見えることがあります。

 

そこまでしなくてもいいのに。
なぜそんなに頑張るのか。
もっと楽にやればいいのに。

そう言われることもあるかもしれません。

 

けれど、
何かを本当に身につける人は、
必ずどこかで夢中になっています。

 

技術でも、祈りでも、学びでも、仕事でも、
中途半端な気持ちでは越えられない壁があります。

 

夢中になる時間の中で、
人は自分の限界を知り、
同時に、自分の可能性にも気づいていきます。

 

そして時には、
良い意味で、人と比べることも必要です。

 

今の時代は、
比べることを悪いもののように扱うこともあります。

 

もちろん、
人と比べて自分を責めたり、
誰かを妬んだりする必要はありません。

 

けれど、
自分より努力している人を見ること。
自分より先を歩いている人を見ること。
自分に足りないものを知ること。

 

それは、自分を磨くために必要な経験でもあります。

 

本当の意味で競うというのは、
相手を倒すためではありません。

 

相手の存在によって、
自分の未熟さを知り、
自分を高めていくことです。

 

そこに尊敬があれば、
競い合うこともまた学びになります。

 

そして、
人が本当に育ってくると、
言葉が変わります。

 

ただ正しいことを言うのではなく、
その人の経験からにじみ出る言葉になります。

 

頭で覚えた言葉ではなく、
生きてきた中で掴んだ言葉。

 

だからこそ、
人の心に響くのです。

 

 

正論は、時に人を追い詰めます。

 

けれど、
体験を通った言葉には、
人を立ち上がらせる力があります。

 

だから私は、
人を育てる立場にいる人ほど、
自分の言葉に責任を持つ必要があると思っています。

 

そして、
どれだけ力があっても、
一人で全てを成し遂げることはできません。

 

人には、それぞれ役割があります。

 

全体を見て判断する人。

細かなところに気づいて支える人。

人と人をつなぐ人。

言葉にして伝える人。

黙って手を動かす人。

その場に安心感を生む人。

 

役割の形は、人の数だけあるのだと思います。

 

役割は違っても、

どれか一つが上で、

どれか一つが下ということはありません。

 

それぞれの違いを認め合い、

協力し合うことで、

一人ではできないことが形になっていきます。

 

 

「自分だけが正しい」
「自分だけが頑張っている」
「自分のやり方だけが正解」

 

そう思い始めると、
人間関係は少しずつ壊れていきます。

 

人を育てるということは、
協力できる心を育てることでもあるのです。

 

そして最後に必要なのは、
折れない心です。

 

人生には、
思い通りにならないことがあります。

 

別れもあります。
失敗もあります。
孤独を感じる日もあります。
信じていたものが崩れることもあります。

 

そのときに必要なのは、
知識だけではありません。

 

何度でも立ち上がる力。
傷ついても優しさを失わない力。


苦しみを知ったからこそ、
人の痛みに寄り添える力。

それが、本当の強さなのだと思います。

 

強い人とは、
弱さを知っている人です。

 

自分の弱さを知り、
人の痛みも知ったうえで、
それでも前を向こうとする人です。

 

人を育てるということは、
急がせることではありません。

 

その人の器が育つ順番を見極めながら、
必要なことを必要なタイミングで伝えていくこと。

 

そして、
育てる側もまた、
自分自身を育て続けること。

 

誰かを導く立場にある人ほど、
自分の在り方を見つめ直す必要があるのだと思います。

 

人を育てるとは、
その人を自分の思い通りにすることではありません。

 

その人の魂が、
自分の力で立ち上がれるように、
土台を育て、
責任を伝え、
背中で示し、
共に学び、
本気を守り、
磨き合い、
響く言葉を持ち、
協力する心を育て、
困難に負けない強さへと導いていくこと。

 

そして私は、
自分自身をこれからも育てながら、
弟子たちの魂が、自分の力で花開いていくその時を、
これからも見守りつづけていきたいと思います。

 

最後までお読みくださり、

ありがとう存じます赤薔薇