休日を夫婦で過ごすときも、
私たちの二人の心には、
いつも「神様」があります。
自然と足は、寺社仏閣へ向かい、
観光というよりも、どこか御神行
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休日も、旅先でも、
私にとっては魂を整える時間。
今日も、静かに魂の時間を過ごしている
Sion心蓮です![]()
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ブログにお立ち寄りくださり、
ありがとう存じます![]()
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スピリチュアルに生きるとは、
特別な力を持つことではありません。
見えない世界にすがることでも、
いつもポジティブでいることでもないのです。
スピリチュアルに生きるとは![]()
目の前の現実から逃げないこと。
湧き上がる怒りや悲しみからも
目をそらさずに見つめること。
誰かのせいにせず、
環境のせいにせず、
「いまの自分」を引き受けること。
そして、
誰も見ていないところで
静かに徳を積むこと。
けれど――
この私も、
心に神様があるからといって、
完璧な人間ではありません。
怒りや憎しみを抱くこともあれば、
ネガティブになる日だってあります。
だからこそ、
常に自分の心を意識し、
整えようとするのです。
すごく前のことになりますが、
いわれのないことで罪を被せられたことがありました。
信頼していた人だったからこそ、
その出来事は、なおさら胸に刺さり、
とても悲しくて、悔しくて、
胸が締めつけられるような思いになりました![]()
けれどそのとき、
私はただ相手を責めたり憎むのではなく、
「この出来事には、どんな意味があるのだろう」と
自分に問いかけました。
人の気持ちの動きを、
もっと丁寧に見ていただろうか。
知らず知らずのうちに、
配慮が足りなかったことはなかっただろうか。
そうやって自分を省みながら、
双方にとって最善の方向へ導かれますようにと、
静かに祈りました。
傷つかないことが
霊性の高さではありません。
誤解されないことが
正しさの証でもない。
それでもなお、
出来事の中に意味を見いだし、
自分を整え、
相手の幸せも祈れる心を持とうとすること。
それが、
私の思う“霊的に生きる”ということ。
強くなることでも、
完璧になることでもなく、
揺れながら、傷つきながら、
それでも自分の内側を整えようとすること。
相手を責め続けるのではなく、
自分を責めすぎるのでもなく、
ただ静かに、
「より良い方向へ導かれますように」と
祈れる心を育てていくこと。
その小さな積み重ねが、
やがて魂を磨いていくのだと、
私は信じています。
今日もあなたの魂が、
やわらかく、あたたかく整いますように![]()


