人生を悔いなく生きる秘訣、それは心の中にすでにある
K・Jさん/大学教授






高校を卒業して理系で国内トップの大学に進学してから私の悩みは始まった。


毎日決まりきったスケジュールを繰り返すそれまでの生活パターンとは違い、大学での自由な生活は確かに良かったが、私は次第に勉強への興味を失くしていった。


どうせ死ぬのに何のためにそれほど必死に競争しながら生きていかなければならないのか――。

 

そんな疑問が頭から離れなかった。

 

 




不安、焦り、後悔…さまよう心を落ち着けたかった
悩みはどんどん深くなり、大学生活では昼過ぎに起きてはゲームに没頭する日々を送るようになった。

 

ほとんどの授業に出席日数の半分も顔を出さず、そんな暮らしを送りながらも試験期間になると不安と焦りにさいなまれた。

 

そうして学期の課程を終えると今度は激しい後悔の念に苦しんだ。


「明日からやり直そう。そうすればすぐに挽回できるさ」


自らをそうなぐさめ勇気づけても、新学期が始まると生活は以前の怠惰な生活のまま。

 

そうして後悔ばかりを積み重ねてゆくうちにしだいに私は自信を失っていった。

 

 

 


しまいには「自分は勉強に向いていないのでは?」と考え始めるくらい投げやりになった。

 

大学に入って3年間、私はただいたずらに時間を送った。

 

父が私に「心を引き算する瞑想」を勧めたのは、成績は下がる一方のままとうとう卒業まで危うくなった大学3年の終わりだった。


さすがに私も「今の悪循環を断ち切ろう」と決意した。

 

今の流れを変えなければ今後も流されるまま生きていくであろうことは火を見るよりも明らかだった。

 

 

 


私は思い切って大学を休学して瞑想に取り組むことにした。

 

そうして「心を引き算する瞑想」で心を捨てた結果、自分本来の心を自然に発見することができた。

 

これまでわからなかった哲学的な疑問の数々も一つひとつ解け、まるでこの世のすべてを手に入れたような嬉しさを味わった。


サボりグセを克服、短期間で博士課程を修了
人生における根本的な解答を得たためだろうか、あれほど深かった悩みや不安も自然に消えていた。


瞑想を終えて大学に復帰して最初に感じたことは、「この世はじつに暮らしやすい場所だなぁ!」ということだった。


ただ今いる所でベストを尽くせば結果は寸分の狂いもなく出るという当たり前の真実。

 

それを実際に行動に移して生きていけるようになったという自信に私は満ちあふれていた。

 

 

 

 

疲れ果てていた心と体を瞑想で癒し、洗い清めた私はまるで翼が生えたかのようだった。

 

久しぶりに味わう勉強の楽しさ。

 

心にゆとりが生まれ、アルバイトもできるようになった。

 

それでも以前よりも成績ははるかに向上し、かつては想像もできなかった大学院進学まで実現できた。


日常生活における変化も大きかった。

 

やらなければならないことがあるととにかく先延ばしにして後悔するというパターンを繰り返してきた私が、気が付くと自然にやるべきことに取り組むようになっていた。

 

サボりグセはどこかへ消え去ってしまったのだ。

 

通常ならば4,5年はかかる博士課程を3年で修了することができたのもその結果だと思う。

 

 

 


アメリカ・スタンフォード大学に研究員として派遣される道も開けた。

 

以前の私だったら「うまくやっていけるだろうか」という不安と焦りばかりを抱え込んだだろうが、今の私は違う。

 

むしろ新たな環境に期待を抱き、胸を躍らせている。

 

世界のどこへ行っても悔いなく楽しみながら生きられる自信が今の私にはあるのだ。