大相撲で31度の優勝を遂げ、

「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた

元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が

31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。

61歳だった。昨年9月に、がんの手術を受けたことを明らかにしていた。

葬儀は7日正午から東京都墨田区石原4の22の4の九重部屋で。

喪主は妻久美子(くみこ)さん。(時事通信)

 北海道福島町出身。

元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、

1970年秋場所で初土俵を踏んだ。

74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。

 新入幕時で100キロそこそこの軽量ながら、

中学時代は陸上競技でも活躍した身体能力を生かして出世。

しかし、強引な投げに頼る取り口が災いし、

肩を脱臼するなど低迷した時期もあった。

筋力強化を図りながら、

相撲を前まわしを引いて出るスタイルに改めてけがを克服。

81年初場所、優勝決定戦で北の湖を破って初優勝を果たし、

大関昇進を決めた。

 引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。

卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、

「ウルフフィーバー」を巻き起こした。

81年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。

 北の湖の引退後、30代に入って絶頂期を迎え、

86年夏場所から5場所連続優勝。

88年夏場所7日目からは、

双葉山の69連勝に次いで昭和以降で当時2番目の長さとなる53連勝をマークした。

九州場所は特に強く、81年から8連覇。

89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。

91年夏場所、初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に金星を与えると、

3日目の取組後に現役引退を表明した。

 優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。

通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。

横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。

 親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。

日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。