上方落語の第一人者で人間国宝の

桂米朝(かつら・べいちょう、本名中川清=なかがわ・きよし)さんが

19日午後7時41分、肺炎のため死去した。

89歳だった。兵庫県出身。

葬儀は25日午前11時から

大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。

喪主は長男の落語家、五代目桂米團治(かつら・よねだんじ)さん。

(時事通信)


 旧満州(中国東北部)で生まれ、姫路市で育った。

演芸場に通う父親の影響で子供の頃から落語に興味を持ち、

大東文化学院(現大東文化大)進学後、

寄席研究家の正岡容(いるる)さんに師事した。


 故郷で終戦を迎え、

1947年に四代目米團治に入門し、三代目米朝を名乗った。

上方落語界は当時、後継者が10人余りまで減って惨たんたる状況だったが、

稽古を重ねて

「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」

「天狗(てんぐ)さばき」

「算段の平兵衛」など、数多くのうずもれた古典落語を再演出・復活させた。


 豊富な学識とたゆまぬ研究に裏打ちされた構成力、柔らかい語り口が特徴。

多くの後継者を育成する一方、ホール落語を開拓し各地のファン層拡大を図った。


 落語研究家の一面も持ち

「米朝落語全集」

「上方落語ノート」

「落語と私」など、数多くの著書を残した。

映画やテレビドラマへの出演、司会やディスクジョッキーなど、

本業以外の分野でも活躍した。


 87年4月に紫綬褒章。

96年5月に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。


 落語家として初めて2009年に文化勲章受章。

脳梗塞で入院した後だったが、同年11月の親授式に出席し、

「芸能界始まって以来の珍事かもしれません」と元気に語っていた。