全聾(ろう)の作曲家で、「現代のベートーベン」と称されていた

佐村河内守氏(50)が12日未明、直筆の文書で

「3年くらい前から言葉が聞き取れる時もあるまで回復していました」と告白し、

「本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くおわびします」

と謝罪した。(日刊スポーツ)

【写真】12年12月 自宅の作曲部屋で「作曲」風景を公開した佐村河内氏

 佐村河内氏は自伝で「35歳のとき、私は全聾になった」とし、

2002年に聴覚障害2級と認定され、

身体障害者手帳の交付を受けたことを明らかにしている。

メディアの取材の際などは手話通訳者が同席していたが、

文書では、「専門家の検査を受けていい」とし、

2級でないと判定されれば手帳は返納する意思を示した。

 佐村河内氏の聴覚をめぐっては、

楽曲を18年前から代作していた作曲家の新垣隆氏(43)が、

6日の記者会見で

「初めて会った時から耳が聞こえないと感じたことは1度もない」などと証言した。

 「3年くらい前」は、くしくもクラシックでは異例の18万枚を記録した

「交響曲第1番 HIROSHIMA」の発売日11年7月20日に重なる。