我々は生まれそして育ち、一人前の人として思春期頃より自己の選択権を無意識に行使して自らの生活環境を構築し、周囲の状況の所為と独りよがりに責任を転嫁してエイジングの道を歩んで行きます。そして疾病予防、特定健診や医療機関の対象となるのは通常40歳以降。そして腹囲、BMIに一喜一憂して毎年の健診をやり過ごして行きます。ところで、皆様はご自身の出生体重をご存知ですか?
【プロローグ】
40年前生化学に夢を抱いていた医学生にとって、衛生学教授のアユルヴェーダ紹介の講義と演習は、正直心に響くものではありませんでした。微視的な病因・病態の診断に得意となり、夜遅く迄の実験に明け暮れていた卒後10年でした。30歳半ばで周産期医療施設の母性内科を立ち上げる仕事に就き、産科、新生児科のフィールドに十分載れない数年を経て、多くの文献を読破し出産に立ち会っていく中で、妊娠経過はまさに内科領域の思考過程が不可欠で、目標として母体と、胎児両者の健康を得るべき予防医学でなければならないと思い至りました。妊娠と次世代の健康に思いを馳せ、医学的胎教というテーマに付いて今日は考えてみたいと思います。
私の周産期経験では532g~4320gの子どもが主治医となったお母さんから生まれています。ハイリスク妊娠から生まれる児の出生体重は実に9倍の開きがあります。この子どもたちの今は、さて、どうなっているのでしょうか。
【妊娠は負荷試験 妊娠・分娩と未病】
母体と胎児のコミュニケーションの橋渡しは胎盤です。出産の頃には500g程度の重さになっており、母体と胎児の血液が豊かに注ぎ込み混ざる事なく必要な酸素、栄養素、代謝産物のやり取りをしています。母体の血液は妊娠中約1.5倍に増量し、しかも循環血症量が循環赤血球量の増加分を上回るために血液は希釈され、いわゆる“さらさら”血液が母体、そして胎盤を流れる事になります。この循環に異常を来した場合、胎内環境は劣化し、胎児は低出生体重児になってしまいます。この時しばしば胎盤には血栓、梗塞が認められるのです。母体体重の増加や胎盤からのホルモンの分泌も加わり、妊娠中にはいろいろの代謝が変化をします。特に、脂質と糖質代謝は劇的変化を来します。
妊娠中はインスリン抵抗性になります。それに見合う十分なインスリンが分泌される場合には問題ありませんが、インスリン分泌能が不十分な場合(日本人に多いパターンでどちらかというと遺伝的バックグラウンド)や元々肥満症であったり、過剰な妊娠中体重増加の母体の場合には、妊娠中に糖代謝異常(妊娠性糖尿病)の病態が発現して来ます。胎盤が娩出され、妊娠が終了するとその病態は雲散霧消します。産科診療は通常産後一か月の産褥診で終了です。医療機関からフォローアップの手は以後差し伸べられません。しかし未病診療はこの機会を見逃してはなりません。なぜなら妊娠性糖代謝異常を経験した女性を5~10年とフォローすると高率に境界領域更に真の糖尿病症例が発症して来るからです。妊娠を契機に未病診断と教育を中心とした早期介入が既に実施され始めています。
軽症の糖代謝異常からはしばしば巨大児が出生します。肩甲難産の原因となり、母体は会陰裂傷に危険があります。さらに生まれてくる子どもは、娩出直前まで元気であったはずなのですが、分娩遷延から仮死で出生するかもしれません。また、鎖骨骨折や上腕神経麻痺の時には生涯にわたる健康問題をこの世に顔を出す瞬間に被るかもしれないのです。妊娠性糖代謝異常に対しては医学的評価と適切な予防的治療が時期を失せず導入されなければなりませんし、児を慈しむ気持ちは単にメンタルな面にとどまらず、食事療法、運動療法そして薬物療法をきっちり行うという義務を果たす母体の役割意識を醸し出していかなければならないのです。
【胎内環境は未病の出発点】
さて頭書に、出生体重をご存知ですかと書きました。この意味を考えてみます。巨大児の対極にあるのが未熟児(低出生体重児)です。
近年の日本の平均出生体重3006g、そして2500g未満で生まれる低出生体重時の比率は9.4%に達しています。10人に一人が低出生体重で生まれていると言っても過言ではありません。この原因については、・高齢初産・喫煙・栄養の関与が想定されています。やせ願望に基づく理にかなわぬダイエットや安直なファーストフードは決してこのことに無縁ではないでしょう。妊娠中の未病栄養学は単純に不足栄養素の所要量補充にとどまらず、妊娠週数に伴う動的(ダイナミック)でそして胎児にも思いを馳せた栄養学でなければなりません。すなわち胎盤の血流確保とともに、胎盤機能を基とした母体、胎児の各種栄養素の代謝を学問の基盤としなければなりません。これは以下の事実から、今後重要な未病の課題となるでしょう。
習慣流死産を繰り返す不育症の胎盤には血栓や梗塞、フィブリン沈着等が病理学的に証明され、自己免疫疾患での低出生体重児出産にステロイドや抗凝固療法を組み合わせる事で予後良好な妊娠結果を得られるようにもなりました。しかし一方で、母性内科の対象となるハイリスク妊娠は、出産という一見輝かしい結果を得られたとしても、ひょっとするとそれはプロを自負する医師(医療)の自己満足であって、分娩後に迄継続する母性内科医療の中で、育児不安等のメンタルヘルスや家族との不和に発展しかねない危険性を孕んでいる事に気づいていかざるを得ませんでした。
低出生体重児の予後は決して安穏としたものではありません。周産期医療施設における26年の仕事の中で、血栓・梗塞というキーワードを基に、生活習慣病専門医療との接点が生まれました。昨今、国内外から低出生体重児(未熟児)の予後が報告されるようになってきました。高血圧、糖尿病、脂質異常症等の頻度は既に思春期で高いと認識されています。また、成人においても、疾病の罹病率、予後はその人の出生体重と相関している報告も相次いでいます。すなわち、生活習慣病胎児期起源説、更にあらゆるその人の健康の質は、母体栄養(胎内栄養、ひいては胎盤機能)と出生後早期(乳児期)栄養に依存しているという考え方が提唱され、またそれが実証されつつあります。
一方過体重児もその予後は決して健全でないデータもでて来ています。数年前には成人病胎児期起源説が提唱され、米国の小児科学会で勧告が出されました。そして今や「健康と疾病の発症素因は胎児期、乳児期ある」と考える妥当性が認知されるようになって来たのです。
また、後方視的研究では、各種成人病において疫学調査を中心としてエントリーされた母集団を各人の出生体重別に見て行くと、明らかにその予後は低出生体重であった人が早く重症化し予後も不良で、また死亡率も高い事が分かってきました。さらに各個人において脂質、糖質代謝の重要な鍵を握る酵素活性の発現においても、出生体重との相関が見られる病因論的基礎データも蓄積されつつあります。
【テーラーメイドな未病:Narrative Based
Medicine】
お産と未病の関係を、母体(女性)と胎児の観点から述べてみました。遺伝的負荷をもって命を授かった時点から人は環境負荷に修飾されてエイジングを始めます。それは胎内環境(胎盤循環と母体血液の質)に始まり出生後特に乳児期の栄養(広義の食育を含む)に運命づけられているのです。このエビデンスを基に、今後は未病の診断と情報提供、介入を計って行く必要があるでしょう。既にお気づきのごとく未病は単に身体的な健康のみならず、精神的、そして社会的健康をも視座に入れておかなければ人は幸せを達成できません。
そのためには未病はエビデンスに基づく医療を、システムとして地域的・經時的共有と保護を同時に担保して実施していかなければなりません。また的確な未病診断すなわち将来に向けた健康観の熟成とその方法論の提示、その結果としての行動変容を期待するのなら、ナラティブベースドにその個人に寄り添う(対話に基づく)方法論を手段として取り入れて行かなければならないでしょう。健康を「次世代への贈り物」として、妊娠時の医学的胎教を原点とする未病は近未来の医療の根幹をなすものと私は確信しています
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【エピローグ】
私は今日本未病システム学会の理事を務めています。昨年始まった特定健診・同保健指導は前期高齢者が対象です。多くの未病対象はこの年齢です。しかし、加えて命として育まれる母体の胎内こそ健康の原点と言って過言ではありません。しかも、成人後は本人の意志で生き方の選択が可能ですが、人の胎内期と乳児期は受動的な存在です。だからこそ、命を生み、育てるこの時期こそ、我々はリプロダクティブライツに合わせて、リプロダクティブデユーティ(義務)を果たさなければならないのではないでしょうか。2500g未満の出生が10%近くとなっている我が国において、改めて胎教のパラダイムシフトを確立していかなければならないと思っています
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40年を経て、今、私の中で丸山博教授の顔が蘇っています。