ここ最近、自分自身の特性を理解出来る人が大変多いように感じます。ASDやADHDの当事者の方々が自らを分析して発信されている方が多いような印象があり、それの影響もあり「あれ?私もかな」とご自分を振り返っていらっしゃる方も多く見られる現状ではないでしょうか。自分自身の特性を理解しておくことは人生を送る上で大変重要なことだと思います!!


 ASDやADHDの方々はとても真面目なかたや熱いかた、責任感のあるかたが多い印象があります。自分の特性をご理解されていらっしゃっても実際に会社や社会生活で「自分の凹特性部分に関わること」をせざるを得ない状況が出てくると、「頑張ろう!」とやってみることが多いのではないかと思います。適度なストレスは必要ですが、無理してキャパを超えた凹特性の部分の業務や行動をとると大きなストレスがかかります。ストレス解消のための行動をとることによって何とか±0を維持するのですが、『継続的な多忙や睡眠不足』という魔法により、認知と脳内物質が段々と誤作動し始め、しまいにはわかっていたはずの自己特性は自分自身で無視され病気の症状が出てくる傾向が強いのではないかと思います。(これはASDやADHDに限ったことではないと思いますが)


自身の特性を理解した人は、『その後の行動』が重要になってくると私は考えます。特性をわかっているだけでも素晴らしいことなのですが、『その特性を持った自分を受け入れ、そして一度しかない人生をどう生きていくか』というところまでを考えた時に、自分の特性を見極めた本当の意味が出てくるのではないかと思います。

『自分は言語コミュニケーション能力が低いから出来る限り人と関わらない仕事につけば何とか続くんじゃないかな』『自分は気持ちを素直に言ってしまったり感情を抑えるのが苦手だから、人に関わらないようにしよう』


これも1つの考え方ですが、人生をよりよくする方法の1つとしては下記のような考え方もよいかもしれません。


『私は言語コミュニケーション能力が低いけど、私の人生は笑いの多い人生にしたいから、周りの皆に理解を得ながら、言語コミュニケーションを比較的重視されない事をして笑いを作ろう。』という発想を持ち、『人生の目標を達成するためには趣味で得意分野のパントマイムをボランティアで続けていこう』というところから、『それでも生活をしていくためにはお金を得なければならないから仕事をしなければいけないけど、自分が無理せずに出来るのは○○だから、仕事としてそれをしながらボランティアで施設にパントマイムをして回ろう』。


このように特性を受け入れ、それを踏まえて人生の目標めがけて歩むかどうかで考え方も変わってくるのではないかと思います。

ASDやADHDで、いじめや怒られた経験などの過去の辛い体験により、潜在的になってしまった対人にたいしての『恐怖感』、習慣化されてしまった『トラウマのフラッシュバック』による行動制限、『執着(こだわり)』からくる一般的ではない行動をとる等に病的に襲われる事があるかもしれませんが、それは自分自身で改善する事が難しい場合も多々あるかと思います。それらの場合は専門家に頼るのが望ましい場合もあります。専門家は彼らがそれらから解放されるために具体的に改善策を話しあい、実施していくことが必要であると考えます。


過集中後の体調不良や不眠も多くの方が経験することだと思いますので、過集中をしている自分に気がつかせ(気がつき)、自制出来る力をつける(計画性をもってやる、時間を決めて区切る)等の対策をすることが望ましいでしょう。


何よりも、『完璧な人間』『素晴らしい人間』『金持ち』『ハイステータス』になるより『愛される人間』になる事が良い人生や素晴らしい人生を歩む事が出来る条件ではないかと私は思います。


『私はアスペだから、こういう特性があるから理解してくれ!』と他人に押し付けるのではなく、『私はこういう特性があるから、これは苦手だけどこれはかなり出来るからこっちを頑張る』とか『私にはこういう特性があるけど、出来る限り過度なそれを抑えるようにするので私と共に歩んでいってほしい』という気持ちが重要であるのではないかと思います。