4日経った今もまだ恐怖心が抜けない。。
当日15時近く、埼玉県震度6弱、緩い揺れから段々強くなって怖くなって、とりあえずめーたんを先にテーブルに押し込めて、寝てたしーチャンと一緒に身を隠した
家がきしむ音、棚が倒れる音で恐怖心から高い声を出して震えていた
めーたんが泣き出し私も泣きそうになりながら、めーたんをなだめた。
地震が収まって、家の玄関ドアを開けに行った、ガスの元栓も閉めた。隣の奥さんも必死な様子で外から気にかけてくれた。地震の震源地は宮城県と知る。マグニチュード9、0尋常じゃない事態を把握して、ひとまず落ち着こうと倒れた食器棚を直して実家の無事を確認してた時、第2波の地震何がなんだか分からずまた身を隠した。食器棚はまた倒れ今度は食器が飛び出し割れていく音がした。おさまり隣の奥さんと外で余震が落ち着くのを待った。気が動転してて荷造りをしたが頭が回転せず、適当に詰めて玄関外に出た。
どんより曇り空で空気は冷たく風がやや出てて、困惑をさらに強めた。
第3波もあったみたいだが、その後も強い余震が続き完全に動揺で覚えてない。とにかくかいくんを迎えに行った。おやつ中止でみんな教室の中央に固まって布団をかぶっていた。かーくんは平然としていて普段と変わりない。おやつをせがんできたので、上着を着せたまま食べさせた。私は食器の片付けをしてその日はお風呂どころじゃなかった。最初の被災地の死傷者が十数人だったのが津波の莫大な影響で何千になり、更には自治体と連絡が取れない、町自体なくなる悲劇を目にした。焼け野原まさしく原爆のように化した町。陸には打ち上げられた200~300体の遺体。日に日に太平洋沿岸の町の被害状況が伝えられ、何万もの行方不明者がいるとのこと。自分の家は停電など何も被害といった被害もない。ただスーパーなどは買い占めが進み米、水、消耗品がまったくなく、ガソスタは閉店または行列の始末。しかし住宅地は静まり帰っていた。現実にいる感覚がわからなくなる程、日本に深刻さを伝えた。長い間神経を張り詰めていたせいか疲れがとれない。余震により地震恐怖症になった。めまいが続いていた。自分が置かれた状況がどんなに幸せなものなのかは明らかなのに、気分が曇りきって晴れない。どうか夢であってほしいが、現実なのだ。生きてる人生き延びてほしい。ただそれを願う事しか出来ない。どうか耐えて!早い救助を政府に願いたい。
当日15時近く、埼玉県震度6弱、緩い揺れから段々強くなって怖くなって、とりあえずめーたんを先にテーブルに押し込めて、寝てたしーチャンと一緒に身を隠した
家がきしむ音、棚が倒れる音で恐怖心から高い声を出して震えていた
めーたんが泣き出し私も泣きそうになりながら、めーたんをなだめた。地震が収まって、家の玄関ドアを開けに行った、ガスの元栓も閉めた。隣の奥さんも必死な様子で外から気にかけてくれた。地震の震源地は宮城県と知る。マグニチュード9、0尋常じゃない事態を把握して、ひとまず落ち着こうと倒れた食器棚を直して実家の無事を確認してた時、第2波の地震何がなんだか分からずまた身を隠した。食器棚はまた倒れ今度は食器が飛び出し割れていく音がした。おさまり隣の奥さんと外で余震が落ち着くのを待った。気が動転してて荷造りをしたが頭が回転せず、適当に詰めて玄関外に出た。
どんより曇り空で空気は冷たく風がやや出てて、困惑をさらに強めた。
第3波もあったみたいだが、その後も強い余震が続き完全に動揺で覚えてない。とにかくかいくんを迎えに行った。おやつ中止でみんな教室の中央に固まって布団をかぶっていた。かーくんは平然としていて普段と変わりない。おやつをせがんできたので、上着を着せたまま食べさせた。私は食器の片付けをしてその日はお風呂どころじゃなかった。最初の被災地の死傷者が十数人だったのが津波の莫大な影響で何千になり、更には自治体と連絡が取れない、町自体なくなる悲劇を目にした。焼け野原まさしく原爆のように化した町。陸には打ち上げられた200~300体の遺体。日に日に太平洋沿岸の町の被害状況が伝えられ、何万もの行方不明者がいるとのこと。自分の家は停電など何も被害といった被害もない。ただスーパーなどは買い占めが進み米、水、消耗品がまったくなく、ガソスタは閉店または行列の始末。しかし住宅地は静まり帰っていた。現実にいる感覚がわからなくなる程、日本に深刻さを伝えた。長い間神経を張り詰めていたせいか疲れがとれない。余震により地震恐怖症になった。めまいが続いていた。自分が置かれた状況がどんなに幸せなものなのかは明らかなのに、気分が曇りきって晴れない。どうか夢であってほしいが、現実なのだ。生きてる人生き延びてほしい。ただそれを願う事しか出来ない。どうか耐えて!早い救助を政府に願いたい。

毎日帰りが遅く泣きたくなる毎日です渹 
