白井は一般の大学を卒業してから、医療系の学校に入り直しました。
当時は東洋医学にも興味があったため、理学療法と鍼灸師で迷ったが、当時お世話になっていた針灸師の助言で、理学療法士をえらびました。
特に大きな理由はありませんでした。
「これからは高齢社会だから理学療法士がいいわよ。」というよくある理由。
今でも患者さんに言われますけどね。
「いや、すでにこの業界は飽和状態ですよ。学校なんて全入学時代だし。」と心の中で思いますが。
僕が入学した約20年前は入学倍率は約10倍。受かるために予備校があり文系の人は数学なんかは勉強しないといけなかった。
当時は専門学校が中心で今は大学がメインになってきている。社会人からくる人は相変わらず専門学校卒が多いのですが。
昔は就職先も選び放題で、他の病院への移動も比較的容易だったそう。
今はかなり厳しい。そしてリハビリのできる日数期限もどんどん制限されてきて保険点数もかなり厳しくなってきています。
入院の期限が短くなり在宅がメインになっていく。
医療から介護へのシフトはどんどん進む。
これはこれで悪い訳ではないのですが、「治療」としてのリハビリテーションに関心が強い人にとっては何か違和感を感じます。
前回のブログにも書きましたが、「治せる」教育体制にそもそもなっていないので、何年か臨床を経験し一通りのことができるようになると「こんなものかな」と感じるようになってしまうようです。
人にもよるが五年もたつとそれ以上追求することをやめてしまう傾向にあると思います。
そのような人が指導者になるとこれを学生に伝える。学生もリハビリってこんなものだと感じてしまう。
最近、1度だけ見学についた学生も今ひとつモチベーションが上がってない様子でした。
どうして理学療法士になりたかったのか聞いてみると、入学前に見学に行った理学療法がすごくやりがいがあって輝いて見えたそうです。
でも実際に入学して、目の前にいる彼の目は曇っていて、輝きはなく積極性など感じられませんでした。
ところが僕の臨床を半日見学してもらうと、雰囲気は一変していた。こういう臨床がしたい、こうなりたいという思いができたようです。
僕の臨床は治療技術だけではありません。「コーチング理論」にそった相手への働きかけも行います。全て含めて臨床です。
場を共有すると人は変化します。
年をとる、経験が長くなるほど人は変化しずらくなります。(もちろん可能ですが、今までの自分を否定することが多くなるので根気は必要。)
次世代の治療家に今まで学んだ膨大な知識と技術を伝えて行きたいと思っています。