ハードワークを標榜している私ですが、それでもたまにくじけそうなことはあります。

自分にとって一番わかりやすい指標がお茶のお稽古です。
月に3回、数時間拘束され、毎度予習復習が欠かせません。

ただでさえ長時間の正座も厳しく、銘の予習もままならず、心に余裕もないようなときは、行きたくないなぁと思うこともしばしばです。ああ、この時間を仕事に充てられれば、と言い訳がましい気持も生まれます。

実際、稽古中は諸先輩の見学をしているときでもかなり緊張感を伴うもので、自分の手前になると、あ、っと思うところで手が止まったりで、とても和やかにとはいきません(実際は和やかですよ)。

それでも、一服のお茶をいただき、稽古が終って帰る足取りは、行く前と打って変わって非常に軽やかになります。
いつもなぜだろうと思いますが、ああ、今日も行ってよかったな、と思って帰途につきます。

わき目も振らず集中して取り組んでいくことで、やり遂げたという達成感が得られ、その場で出会えたり、教わったりするいろいろなことが、血肉となっていくことを実感することで、鬱勃とした気持ちをいつの間にか洗い流してくれているように思います。

仕事でも勉強でもこれは同じだと思います。ああ、いやだなぁと感じることは、初めての仕事で、結果が見えない話し合いだったり、長期間緊張を強いられる仕事だったり、さまざまありますが、毎度、これをガムシャラに取り組むことで、終ったあとにはすがすがしい気持ちになれると、自分自身で自己暗示をかけてやっています。
ここで嘘をついて休むようなことをしたりすれば、却ってさらにそれが負担となって余裕を失っていくように思います。

最近は、癒しを求めることが当たり前の風潮になっていますが、ほんとうの癒しとは、単に温泉にいったり、長期休暇をとったり、おいしいものを食べたり、そういった消費によって得られるものではないのではないかと思います。

年配の方でもとてもアグレッシブに活動している人をみて、どうしてこの人はこんなにもパワーに満ち溢れているのだろうと思うことがありますが、おそらく簡単に得られるような安い癒しではなく、真に平穏な安らぎを知っているのだろうと思います。

私もそういう境地をどんなものか見てみたいと思います。
そう思うと修行も楽しみです。