今朝の産経新聞に呉智英氏が、近代以後もある時期までは平凡が重要な価値であったとして「平凡のどこが悪いのか」と書いてました。

そして無理に非凡に生きようとして生じる不幸として、秋葉原の無差別殺人犯のことも言及していたのですが、ああ、その通りだなと思いました。

ブログで過激なことを書いて、一瞬PVが上がったとしても、それを継続できる人がどれだけいるのでしょう。また、ずーっと匿名で面白い記事を書き続けることなんてもっと無理な話だと思います。

これはブログに限った話ではないですが、本当に非凡な人というのは、平凡な毎日の中で着実に何かを積み上げていくことができる(たまたま積み上がったのでなく、積み上げた)人なんだろうなぁと思います。

このブログも面白いことを書いてやろうとか、過激に主張しようとか思わずに、毎日コツコツと続けることからやっていこうと思います。