親というものは勝手なもので、自分が子どもの頃は親からあれこれ注意をされると

 

「うるせーな」と思ったものですが、自分が親になると子どもに結構あれこれ言っています。

 

しかも、「うるせーな」っていう態度をとられると無性に腹が立つものです。

 

「あなたのために言っているのに!」と昔自分が言われて嫌だったことを自分も言おうとしているので、これは考えるべき一つのテーマだなと思ってちょっと掘り下げていってみようと思います。(ちょっとだけですよ。)

 

<自分が小さい頃説教されて嫌だった事と自分の思考回路>

①説教が長い

②説教は同じことを何度も言う

③言われることは暗記している

④これから言おうとすることも分かっている。

⑤それを実演するとさらに怒られる。

⑥説教の最中に質問すると、黙って聞け、とさらに説教が長くなる

⑦説教の中でわいた疑問が気になって気になって、そもそも最初の説教は聞いていない、というか覚えているので聞く必要がない。

 

こんな感じですかね。

今考えてみると、クソガキの急先鋒のような存在です。説教暗記しているなら言われないようにしろよ、と大人になると思うものですが、子どもの頃は説教の内容は暗記していても、説教されないようにする、という思考は一切なかったわけですね。(これってある種の共通する特性なのでは?と勝手に思っています。)

 

特に、一番嫌がられたのは説教の最中に質問すること。

これは相手が誰であれ一番嫌がられました。

 

親、学校の先生、習い事の先生、周囲の大人。全員ダメ。

 

「黙って聞け」

「喋んな」

「関係ないことを言うな」

「話題をそらすな」

「今気にしてほしいのはそう言う事ではない」

 

といった感じです。

 

先日息子にドラえもんのおもちゃを買ってあげました。空気砲。

説明する必要もありませんね?

 

 

 

で、その空気砲を人に向けて遊んでいたので、これは誤解を招くと思い注意をしたわけです。

 

私「それは人に向けたらいけないよ」

子『なんで?』

私「銃だから」

子『おもちゃだけど?』

私「おもちゃでも駄目よ。理由は大きく二つ。まず相手が不快に感じる可能性がある。そしてもう一つは銃はおもちゃであっても誤解されるから絶対に人には向けない」

子『やる前に聞いたらいいんじゃない?』

私「それもだめ。君にはその区別や分別がまだできない。だから全部だめとするしかない。さらにお互いにOKと思っていても周りの人がそう思わないこともある。その結果として君が損をする。」

子『ふーん。何がいけないの?銃口を向けるのがいけないの?これは空気だけど?引き金ひかなければいいんじゃない?』

私「空気砲と普通の銃とわけて考える必要があるね。結局は全部ダメってことになるけど、とりあえず分けて話そうか。何故空気砲は人に向けてはいけないと思う?」

子『わかんない。別に危なくないし。楽しいし。』

私「君は楽しいだろうね。お父さんは何度顔の近くでやられて不快だけど。わかってる?」

子『、、、わかった。』

私「じゃあ、一般的な銃の話をしようか。そもそも日本では銃が禁止されているから、あまりリアリティがないのかもしれないけど、アメリカなどの国では親が銃を適切に管理しなかったことで、子どもが間違えて家族を銃で撃ち殺すという悲惨な事故が起きていることを知っているかい?」

子『しらなかった。安全装置はどうなっているの?どうやって安全装置を外すの?あと、どれくらいいそういう事故が起きているの?銃を撃った衝撃ってどんな感じなんだろう?』

私「安全装置についてはこの後一緒に勉強しよう。今伝えたいメッセージはそこではないんだ。伝えたいことは、そうした不幸な事故が身近に起こってしまう文化に所属している人と君が接点がある、ということなんだ。なので、日本ではOKというものが、他の文化に所属している人にとってもOKなのか、という広い視点が必要になってくるんだ。わかるかい?」

子『なんとなく、、、。安全装置気になるけど、、、お父さんは銃を撃ったことあるの?』

私「じゃあ先に安全装置について一緒に勉強して、それからまた銃をどうして人に向けないのかについて考えよう。銃は撃ったことないよ」

以下続くが省略

 

 

どうですか?

一般的なお説教とは相当異なるのではないでしょうか?

一般的な説教は、おそらく質問を二つくらいされた時点で、「うるさい!黙って聞け!」という反応を大人はしがちなのではないでしょうか?

 

「今は先生が話す番」

「黙って聞け」

「そういうことじゃない」

 

といった形で大人は子どもの話をつぶします。

結局伝えたいメッセージも伝わらず、子どもの疑問も解決されません。

 

お互いにとって相当なフラストレーションです。

 

まぁ、正直話がどんどん逸れる相手をしているのも疲れるのですが、新たな視点や疑問というものは非常新鮮であり、学び気づきのチャンスなので、漏らさずに拾いたいと思っています。

 

子どもとソクラテス的対話をする感じですね。

 

思いもよらない着地点に至ることも多く、中々面白いですよ?

 

「話を聞け!」と抑えつけても全く効果の無い子たちいませんか?

子どもが聞いていないのではなく、子どもが理解して身に着けるような話し方を大人がしていないだけかもしれませんよ?