〈子が我儘?親が勝手?〉


育児をしていると、子どもによって性格が全然異なる事に驚きます。

親に似ていたり、全く親と似ていなかったり。親と合う点もあれば、全く合わない点も当然あります。


私たちは自分と周りの大人を比べる時、自分の周りの人と自分が全然考え方や性格が違ってもあまり驚きません。

それなのに子どもの事だと結構驚きますね。勝手なものです。親は勝手。

何故親が勝手なのかと言えば

  • 子どもは親の言うことを聞くものだ
  • 自分の子なので自分に似ている筈だ

といった思いがあるのでしょう。

しかし、所詮は他人なんですよね。子どもとはいえ。

『子どもは親の思い通りになる〈物〉では無い』のです。別人格。

この点については、ギフテッドを育てる親の方が理解してるのではないでしょうか?

ギフテッドの親は、早々と自らのコントロールで上手くいかない現実を突きつけられますからね。


過去、こんなツイートしたら、『うちは〈お手伝い〉って言葉に近いです』ってコメント頂いて、とても良い言葉だな、と思いました。


〈主役は誰なんだって話〉

特に、幼稚園小学校のお受験界隈で見かける事ですが、『子どもが第一志望に合格しなかったから、もう可愛くない。愛せない』ってやつ。
私は個人的にこうした発言はネタであると思っています。親のストレスを吐き出しているだけで、一時的に言葉が過激になっているだけでしょう。

でも、ここまで親の気持ちがかき乱されてしまうのは何故なのでしょうか?

そこでまた話は始めに戻りますが、『親が子どもと自分を別人格と捉えられてない』という所にぶつかります。

子どもが親の言うことを素直に聞いて動いてくれると、更に事態は悪化するのでしょうね。

この点、「悪化」という言葉を使うこと自体に異議がある方もいるでしょう。

でもね、親は完璧ではありませんよ。


〈?私は予言者だ?〉

一年先の未来、数年先の未来、10年後の未来、確信をもって見通せますかね?

教育における、皆さんのイメージする成功モデルって最新ですか?

自分の時の成功モデルの焼き直しって今も通用しますか?

これに関しては確かに過去脈々と続いてきた、それぞれの国にある、伝統的エリートコースにのる、というものが今でもありますね。

それに我が子をのせる、というやり方は選択肢の一つなのでしょう。

本人が受験の際に、受験自体を望んでいたかどうかは別として、そうしたコミュニティーに所属するメリットは社会に出てから明らかにありますから。(三○会とかさ、、すごいじゃん?)

なので、そうしたコースにのせたい人はその成功モデルに拘ればいいのでしょうが、選択肢は他にもあると子どもには伝えてあげて欲しいです、、



〈好きな事だけやったらダメ?〉

自分の子ども達は、今存在しない職業に将来つくと思っています。

もちろんそうならなくても全く構いません。

やりたい事が見つかって、のめり込んでいくならそれを全力でサポートしたいと思っています。

個人的には「好きなことだけやっていてOK」だと思っています。

さかなクンとそのご家族をリスペクトしています。


この本は本当にオススメです。

何かの分野に突き進んでいくと、自然とその周辺の学びも必要になってきます。

本を全く読まない子でも、好きな分野の専門家になっていく過程で、初めて読みたい本、読まなければならない本に出会い、必死に格闘する事になります。漢字だってそう。

算数・数学が壊滅的にできなくても生きていけます。



大丈夫。それでいい


親の役割というのは、子どもの心を守る事であり、決して「私が考えるあなたの幸せ」を押し付ける事ではないでしょう。

いわゆるお勉強を全くしなくても、何かに打ち込んでいるなら、見守ってあげて良いのではないでしょうか?(もちろんscreenをずっと見てゲームしているのは放置できないので、その点はルール作りは必要です)


健全な心が育てば、自然と将来の目標が定まり、そのための学びが始まります。


学びから押し付けず、視野を広げる『お手伝い』をされてみてはどうですか?