韓国語やってる人にだけ通じる話ですが、

今日、授業で「いっぱい食べないと力が出てこない。」と言ったら

先生に爆笑された。

なぜだ。日本語だと変じゃないのに、そのまま直訳で韓国語にするといけないらしい。

というわけで正しくは、「ヒミ アンナヨ」になるんだって。

出てこない、じゃなくて出ない、で十分らしい。

帰って母にも言ってみたら笑われた。

 

で、今日は『リア王』読みました。テストもひとつ終えたし!

なんでシェイクスピアを読んでるのかというと、以前読んだ本たちの中にも出てきまくったからです。

やっぱり古典て大事なのね。

 

コーディーリアはなんと言ったらよいのか?ただ心に思うだけ、後は黙っていればよい。(P12より)

 

これは、リアという王様が、自分の娘たちに「どんだけ俺のことを大事に思っているのか言ってみなさい」

と言ったときの、末娘コーディーリアの傍白。で、上のおねいちゃんたちはべらぼ~うに父をほめて、

色々もらうのだけれど、コーディーリアは「ただ心に思うだけ」なので、何も言えないの。

すると父ちゃんリアは不満なわけよ。

 

無から生ずるものは無だけだぞ、もう一度言ってみろ。(P13)

 

って怒ってしまうんですね。

誰よりも父を思っていたコーディーリアは、「思い」しかもてないために、

父リアは、その「思い」を確かめる言葉を必要としたために、

すれ違い、「思い」は無だとみなされてしまう……。

 

大事なことほど上手く伝えられず、言葉にならないものほど

言葉にすることを求められる。表現されたものはもはや、「思い」だったころのカタチとは

違うものになっていることが、私には多々ある。人から見ればそれは「無」に終わってしまうなら、

カタチにしたほうがいいのかもしれないけれど、大事にしたい「思い」のままの姿もある。

 

それで、言葉をさがすのだ。

諦め悪く、「思い」のままに近づけて、何とか伝えようとして。

言葉が素敵なひとはきっと、「無」にみえるものにも敏感だろう。

 

もう『リア王』全く関係なくなってきましたけど、私のお気に入りのセリフは

「俺の腐った血がお前を吹出したのだ(P84より)」こぉーれが

なんだか分からないけど大好きで、親から娘に向かうセリフなのに、

トムにしつこいくらい言ってますね。いつか子供が反抗期になったら言ってやろ~。