鴨長明(1155-1216)の「発心集」からの抜き書き第四弾は「千観内供、遁世籠居の事」です・・・メモ

 

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この段は、千観内供という高僧が四条河原で空也上人を偶然見かけ、牛車を降りて教えを乞う印象的な場面で始まります・・・目

 

ある日、千観内供は朝廷での法会を済ませて四条河原を通っていると、空也上人を見かけ、この機会を逃すまいとして牛車から降り、次のように問いかけた・・・おねがい

 

「率直にお尋ねします。どうしたら極楽往生できるでしょうか?

 

空也はびっくりして次のように答え、足早に立ち去ろうとした・・・ランニング

 

「何を逆さまなことをおっしゃっているのですか。私の方こそあなた様のような高い地位のお坊様に教えていただきたいくらいです。私のような賤しい立場の者は、ただ意味もなくさまよい歩いているだけです。私にはまったくわからないことです」

 

千観内供はそれでも空也の袖を引っ張って、そんなことを言わずに何とか教えてくださいよとねばった・・お願い

 

困った空也は、次のように一言だけ言い放ち、袖を引き払って足早に立ち去った・・・ランニング

 

身を捨ててこそ・・・

 

これを聞いて千観内供はいきなり河原で法衣を普段着に着替え、脱いだものを牛車に入れ、お付きの者に「みなはすぐ御坊に帰りなさい、自分はこれから他所へ行くから」と言って、ただ一人去って行った・・・走る人

 

千観内供はたくさんのことを学び、秀才と言われ、僧として高い地位に就いていたが、内心ではどうしたら極楽往生できるのかわかっておらず、ずっとモヤモヤと悩んでいた。

 

そんな時、四条河原で市の聖(ひじり)として名高い空也を見かけ、今しかないと直感し、率直に尋ねたのだった。

 

そして、「身を捨ててこそ」と言われ、その場ですべてを捨てて歩き出し、箕面のあたりに籠り、その後別の場所に庵を結んで修行に励み、最終的には往生を遂げたと伝えられている・・・お願い

 

写真1~4(↓):現代の四条河原町(2022年4月15日)

 

 

 

 

 

昔、この近くで上記のようなピュアな人間ドラマがあったのだなあと思うと、感無量でありました・・・ラブラブ

 

そして、あの襤褸を着た聖(ひじり)が、今にも路地から出てくるのではないかとキョロキョロしてしまいました・・・キョロキョロ

 

さらに、「上善若水」で始まる老子第8章をも思い出しました・・・本

 

最上の善なるものは水のようなもので、低きに流れ、人々の忌み嫌う低い土地を潤そうとするものである・・・

 

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上記のエピソードは西行法師の「選集抄」にも載っており、千観内供が極楽往生したことは「日本往生極楽記」にも詳しく書かれているそうですヨ・・・グッニコニコ

 

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